あるファーストフード店店長の過労死/大塚達生(事務所だより2010年1月発行第40号掲載)

news1001_small あるファーストフードチェーンの店長が、社内研修の最中にクモ膜下出血で倒れ、亡くなりました。
 「労災ではありません。」という会社担当者の説明に疑問を感じた遺族が、会社から勤務記録を取り寄せたところ、遺族の実感から程遠い残業時間数しか記録されていませんでした。また、おかしなことに、社内研修中に倒れたにもかかわらず、会社の勤務記録には、その日が「公休日」と記されていました。

  遺族が、労働組合の支援を受けて、労災保険給付請求の手続を準備していたところ、亡くなった店長が通勤時に使っていた市営駐車場の磁気カードが見つかりました。そして、それをもとに駐車場の入出庫記録を入手することができました。

 この駐車場は店長が勤務していた店舗のすぐ近くにあり、労働組合が入出庫記録に基づいて、店舗に着く時刻と店舗を出る時刻を割り出したところ、元店長の残業時間数は会社の記録よりもはるかに多くなりました。この時間数は、遺族の実感に合致するとともに、元店長の携帯電話に残されたメールの送受信記録とも内容的に符合しました。

 遺族が、これらの調査結果を添えて、労災保険給付の請求を行った結果、元店長の残業時間は、会社の勤務記録に記載された時間数ではなく、駐車場の入出庫記録に基づいて算出した時間数で認められ、最終的に、元店長の死は労災であると認定されました(注1) 注1 

 このケースは、会社が管理している勤務記録が従業員の勤務実態を全く反映していない典型例でした。背景には、残業時間の正確な記録を阻害するような、コスト削減優先の労務管理がありました(注2)


 「過労死」という言葉が世の中に広く知られるようになったのは1980年代からですが、それから20年以上経っても、未だに過重な労働による労働者の死亡は後を絶ちません。

 この間、経済や雇用の情勢は大きく変動し、情報通信技術の発展により人々の生活も変わりましたが、長時間で過重な労働を強いられている労働者は相変わらず多く(むしろ、それらの変動・変化によって長時間過重労働を強いられることになった労働者が多くいるということかもしれません)、依然として「過労死」はなくなりません。

 また、職場のストレスによる精神障害が近年激増しており、業務に起因する精神障害・自殺であるとして労災と認定されるケースが増えています。

 このような状況が改善されねばならないことは当然ですが、様々なケースについて相談を受け、事後的な救済手続にたずさわるにつけ、個々の労働者だけで、使用者に過酷な労働条件・労働環境を改善させるのは、とても難しいと感じさせられます。

 上で紹介したケースが労災と認定されたのは、結成してから日の浅い企業内労働組合とその上部団体の労働組合の力によるところが大でした。資料の収集も、残業時間の割り出しも、元店長の労働実態の調査も、店舗内の労働実態をよく知る労働組合だからこそできたことでした。

 今後は、「過労死」防止策について、労働組合が会社と交渉することで、今回のような「過労死」が二度と発生しないよう、労働条件・労働環境が改善されることを、願っています。もちろん、その前提として、このファーストフードチェーンで働く沢山の労働者が、今回のケースを自分にも起こりうる問題だと自覚して、労働組合に結集してくれることが第一ですが。

(注1)労働基準監督署は、クモ膜下出血によって倒れた日の前の6か月間の月平均残業時間数が77時間18分で、これが労災認定基準でいわれている80時間に届かないとの理由により、労災であると認定しませんでした。
 しかし、元店長は倒れた日の1か月前から頻繁に頭痛を訴えており、これはクモ膜下出血の前駆症状であると判断でき、そこから前の6か月間の月平均残業時間数をみれば80時間を超えていたため、遺族は不服申立の手続(労災保険審査官に対する審査請求)を行いました。
 その結果、最終的に元店長の死は労災であると認定されました。

(注2)本来、使用者には、労働者の労働時間を把握する義務があります。そのため、厚生労働省は、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」、「賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針」といったものを定めていますが、このケースでは、これらが守られていませんでした。