足利事件の菅家さんは、17年半もの苦しみの後、ようやく釈放された。
控訴審で弁護側は、DNA鑑定の信頼性や自白の客観的事実との食い違いを指摘したが無期懲役判決がなされ、1996年5月最高裁への上告。
弁護側は、最高裁に、菅家さんの毛髪のDNA型が犯人のものと一致しないとの鑑定結果や科警研DNA鑑定の問題性を指摘した専門家意見などを補充書で提出し、DNA再鑑定の必要性を主張したが、2000年7月、上告棄却。2002年12月宇都宮地裁に再審請求がなされ、2008年2月却下。そして東京高裁でやっとDNAの再鑑定が認められたものである。
問題があるDNA鑑定について、最新の技術による再鑑定が拒絶され続けてきたことの重要な原因の一つには、自白に対する過信があると思う。
死刑や無期になるような事件で自らに不利益なことをいうはずがないという思い込みは多くの人々やマスコミだけでなく、裁判官をも支配しているように思える。
たとえば名張毒ぶどう酒事件。奥西氏は一審で無罪となりながら名古屋高裁で逆転死刑判決を受け、その上告も棄却された。
7回目の再審請求で、名古屋高裁刑事1部は、犯行に使われた毒物が奥西氏が所持していた農薬ではないとの科学的鑑定に基づく弁護団主張を受け、これによって自白の根幹部分が客観的事実に反する疑いがあるとし、捜査段階の自白内容そのものの問題を指摘し、再審開始を決定した。ところが検察から異議申立を受けた名古屋高裁刑事第2部は、重大犯罪について、特段の強制もなく、任意に自供した以上、その任意性に問題はなく、当然にその信用性についても高いものと考えられる」とし、再審開始決定を取り消してしまった(最高裁に特別抗告)。
この再審弁護団の一員である伊藤和子弁護士は、虚偽自白についてインターネットで調査をし、虚偽自白についてのドリズィン教授の調査を知る。そして伊藤弁護士はドリズィン教授と連絡をとり、論文を入手し、最高裁への法廷意見書を提出した(注1)。 注1
ドリズィン教授らは、確実に無罪であることが証明された125件に対象を絞り分析しているが、特に次の点は注目される。
取調べ時間がわかってるもののうち、虚偽自白まで6時間以下の事例が16%、6時間から12時間が34%、12時間から24時間が39%、48時間から72時間が2%、72時間から96時間が2%で、取調べ時間の中央値は12時間である(短時間のうちでも虚偽自白が引き出されている)。
公判審理を選択した者のうち、有罪となった者は81%であり、多くの場合、裁判官と陪審員は、虚偽の自白に基づいて無実の被告人を有罪としている。
そして、論文は、取調べ状況は、結局「水かけ論」になり、取調べ全体を(部分的なものではなく)ビデオ録画したものを見るによい方法はないとしている(注2)。
アメリカでは、1992年以降、全米各地のロー・スクールを拠点として「イノセント・プロジェクト」の活動がなされ、DNA鑑定という疑問の余地がない方法によって冤罪が明らかにされ、その中で虚偽自白の問題性が浮き彫りになった。
他方、日本では、菅家さんの再鑑定が決定された日から11日後、同じ手法のDNA鑑定が決め手となって有罪とされた久間さん(飯塚事件)に対し死刑が執行されている。
なぜ、この時期に急いで死刑執行がなされなければならなかったのだろうか。
犯罪の残虐さ、それに対する憤りあるいは被害感情によって、真実発見が妨げられ、無実の人々が苦しめられることは、あってはならないことである。裁判員制度のもとで、改めてそのための手立てが求められている。
(注1)論文等の伊藤弁護士による翻訳は「なぜ無実の人が自白するのか-DNA鑑定は告発する」(スティーヴン・A・ドリズィン+リチャード・A・レオ)として、日本評論社から出版されている。
(注2)検察庁は、現在、原則として自白調書を証拠請求する裁判員裁判対象事件の全件で、取調べの一部録画・録音を行っており、警察庁でも試行されている。しかし、日弁連は「取調べの可視化」(取調べの全過程の録画)を求めている。捜査側に都合の良い部分だけが録画・録音されかねず、取調べの実態の評価を誤らせる危険があるからである。