国鉄国労闘争、解決へ/福田護(事務所だより2010年8月発行第41号掲載)

news1008_small 国鉄の分割民営化からまる23年が経過した去る4月9日、JR発足時の職員採用についての国労・全動労等に対する組合差別問題(国鉄清算事業団解雇者1047名問題)で、ついに政治解決がなされました。民主党・社民党・国民新党の与党三党と公明党がまとめた政治解決案を、政府が受け入れたものです。これに基づいて6月28日、最高裁で裁判上の和解が、国鉄の権利義務をいまにひき継いでいる鉄道運輸機構との間で成立しました。

 これによって、国労・全動労組織としての訴訟事件は終結し、今後、政治解決の一環として政府としても努力すると確認された、対象組合員の雇用確保の実現が課題となります。(なお、後記横浜人活事件関係の不採用者2人を含め、今回の和解を選択しなかった一部組合員の個別訴訟が残ります。)

 しかし、この歴史的闘争が大きな目標に到達したという中間総括は、してよいと考えます。この四半世紀に及ぶ長い間、神奈川総合法律事務所の関係者・関係団体の方々からも、多くのご支援、ご協力をいただきました。事件に関わってきた弁護団の一員として、心より御礼申しあげます。

 私が弁護士になった1982年当時、国鉄職員はサボっている、ヤミ手当・カラ出勤・ポカ休などが蔓延していると、マスコミが競って報道をした「ヤミ・カラ・キャンペーン」の絶頂期でした。当時国鉄労働者20万人を組織して、日本の労働運動の牽引車の役割を果たしてきた国鉄労働組合(国労)が、その元凶としてヤリ玉にあげられていました。そして分割民営化が必要だと叫ばれました。

 当時の「大国労」の事件には、それまで地方の弁護士が関与する機会はほとんどなかったのですが、来たるべき一大決戦に備えるべく、当時の国労横浜支部の執行部は、早くも84年時点から、地元神奈川における弁護士の関与、さらには弁護団体制作りに動き始めていました。先見の明というほかありません。これに国労国府津支部も連携し、86年時点では、神奈川の47人の弁護士「四十七士」が結集し、権利侵害実態調査、一斉提訴等の活発な活動を展開するようになっていました。「四十七士」の中には、当時の神奈川総合法律事務所のメンバー(宇野、鵜飼、柿内、野村、岡部、そして福田)も勢揃いしていました。


 柿内さんは、神奈川の弁護団の事務局長として、横浜法律事務所の岡田弁護士とともに、中心的な役割を果たしていました。86年11月には横浜貨車区人材活用センターでの国労組合員の暴力事件、いわゆる横浜人活事件が国鉄当局によりねつ造され(このことはその後の刑事・民事事件判決で明確に認定されます)、12月には5人の組合員が逮捕、その後3人が起訴されました。翌87年2月16日にはJR職員への採否の通知がなされ、約7000人の不採用者の圧倒的多数が国労組合員で占められるという、歴史的な組合差別が敢行されました(うち1047名が3年後に国鉄清算事業団を解雇されます)。

 この疾風怒濤の中で開かれた2月20日の横浜人活事件弁護団会議の最中、柿内さんは突然クモ膜下出血で倒れ、3月4日、そのまま不帰の人となりました。享年39歳、国鉄とともに消え去った柿内さんの遺志を、私たちは引き継ぐことになったのです。


 弁護士経験も浅い私にとって無我夢中の手探りの日々でしたが、その後神奈川での弁護団体制のもと、横浜人活事件の刑事・民事裁判のほか、労働委員会の不当労働行為救済申立事件として、採用差別事件、配属差別事件2件、出向差別事件4件、配転差別事件2件、1次~4次の国労バッジ介入・手当差別事件、脱退強要事件3件、昇進差別事件2件、懲戒解雇・配転事件などを次々と申し立て、勝利命令を獲得していきました。

    そのうち国労攻撃の中核をなす採用差別事件は、2003年12月22日最高裁判決で、中労委のJRに対する採用取扱い救済命令が、JRには法的責任なしとして取り消されてしまったのですが、その前後に鉄道運輸機構相手の損害賠償請求事件が提起され、当時の国鉄の責任が追及されてきました(今回の裁判上の和解は、この事件に関連してなされたものです)。

 これらの神奈川の事件には、「四十七士」のほか、当事務所にその後入所した弁護士を含めて、またオウムに殺害された坂本堤弁護士も含めて、多数の弁護士の力が結集され、全国的にも誇りうる成果を挙げてきたといってよいと思います。


 そして神奈川総合法律事務所も、神奈川はもちろん、国鉄闘争、国労闘争全体の中で、相応の役割を果たしえたのではないかと思います。なお、国労事件にかまけてきた私たち所属弁護士を抱え、裏方にまわってこの事務所の国労闘争へのかかわりを支えてきたのは、宇野弁護士でした。
 こうしてひとつの時代を画する労働運動・労働事件に、一弁護士として、また一法律事務所として深くかかわりを得たことに感謝しつつ、関係者の皆様へのご報告とし、あわせて、なお残された問題の解決と国労の運動の新たな展開に向けて、一層のご支援をお願いするものです。