「両方の立場で考える」必要があるのか。/田中誠(事務所だより2022年8月発行第65号掲載)

 この4月にNHKニュースを見ていると、ロシアのウクライナ侵攻について早稲田大学の国際法サークルの学生さんたちが模擬裁判をしたという。
 国際司法裁判所を舞台に、ロシア・ウクライナそれぞれの立場で争うという設定だった。ニュース映像では、傍聴したという勉強ができそうな学生さんが「両方の立場に立って考えてみたかった。感情的にならずにまとめる云々」と語っていた。また、主催者側の、優秀そうな学生さんが「善悪で切り取るのでは無くて云々」と語っていた。 

 私は、この学生さん達に違和感を覚えた。

 まず、この問題について、「両方の立場で考える」必要はあるだろうか。少なくとも法学の徒で、日本国憲法(または、まともな国の憲法や規範的正義論)の法原理を是とするのであれば、戦争を仕掛けたロシアが悪いに決まっていて、議論の余地などどこにもないと考えるべきであり、「ロシアが悪」とはっきり言える問題である。

 学生さんたちの物言いは、いかにも秀才風の悪しき価値相対主義に毒されていると思った。ロールズ(*1)とか読んだことあるのだろうか。きっとないだろう。
 ロシア役の学生さんは「国際司法裁判所には管轄権がない」との主張を展開していた。国際紛争で、管轄(それを裁く資格がどこの裁判所にあるのか)は重要問題ではあり、よく生じる技術的論点ゆえに「議論するのが面白い」のはわかるが、この問題について、今やる模擬裁判で、そういう技術論争をして、どういう意義があるのか。

 さらに、今リアルに起きているロシアの侵略・暴力、ウクライナ市民が虐殺され、女性が性被害を受けている状況のもとで、この紛争をネタにして「ゲームのようなデイベート」を行い、それを仲間内でやるだけならまだしも、得々とマスコミ取材を受けるというのは、「あなた方、被害者感情を考えていますか?」とも思う。
 学生がやるなら「中立に考えてみたい」ではなくて、「模擬裁判の形を取って、ロシアの侵略を正面から批判する」企画であってほしかった。

 大学で法を学ぶのは、「『どっちもどっち』との『冷めた感じ』の価値相対主義に立って、技術的論争の技法を学ぶ」ためではないと思う。「こんなの一目で駄目」というリーガルマインドを身につける方が大切ではなかろうか。
 同じ時期に、東京大学の入学式で、映画監督の河瀨直美氏が祝辞の中で「ロシアを悪者にすることは簡単」としたうえで「なぜこのようなことが起こっているか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないか。誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで私は安心していないか」と述べ、その上で「自分たちの国がどこかの国に侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。そうすることで自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したい」と述べたと報じられた。
 芸術で一家を成した著名人として、「受験で頭が固くなっている東大新入生」たちに(上から目線で)「気の利いたことを言ってやろうとした」という印象を受けたが、これも所詮は、価値相対主義を唱道する議論に過ぎず、古くさくて全くありがたくないし、プーチン独裁のロシアと戦後日本の歩みを同じレベルに並列するというのは、歴史認識としてもリアル政治論としても誤りと考える。

 さすがにこの祝辞は物議をかもし、イスラム研究者の池内恵東大教授は「侵略戦争を悪といえない大学なんて必要ないでしょう」と批判していた。強く同意する。
 入学式はリモート開催だったとのことで、学生の反応は報じられていないが、先の模擬裁判の学生さんたちとは違う反応であればよいと思う。

*1 John Rawls アメリカの法哲学者(2002年没)過去の事務所ニュースでも取り上げた。