「解雇の金銭解決」は必要か?/嶋﨑量(事務所だより2022年8月発行第65号掲載)

 日本の労働法では、使用者が労働者を簡単に解雇できないような制度になっています(解雇規制といいます)。ですが、「解雇の金銭解決制度」を導入しこの解雇規制に風穴を開けようとする動きがあり、労働政策審議会(*1)で既に議論が始まっています。
 「解雇の金銭解決制度」は、2015年に政府が定めた成長戦略にも、既にくみこまれていました。さらに、厚生労働省が設置した「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会」が2022年4月12日に公表した報告書は、解雇された労働者が救済される選択肢を増やすという観点から、解雇の金銭解決制度の導入を前提として、導入する場合の案を複数の選択肢を示しながら整理しています。
 こういった情勢をうけ、たとえば、日本経済新聞(社説)(2022年4月22日配信)では、「裁判で解雇が不当とされたとき、労働者がお金を受け取って紛争を解決する制度の導入について、厚生労働省で本格的な議論が再開する。中小企業では不当解雇された人が職場に戻れず金銭補償もない例が少なくない。労働者を守り、新たな職場での再出発を支えるために制度化を急ぐべき」との見解が示されています。

 ですが、今導入が検討されている「解雇の金銭解決制度」が、本当に「労働者を守」るために必要とは思えません。
 現在、導入が検討されている制度は、実は使用者からではなく、労働者のみが行使できる制度です。労働者が労働契約を金銭の支払によって終了させることを目的とする権利として、金銭の支払いにより労働契約を終了させることができるような制度を目指すとされているのです。上記社説は、「解雇が無効と裁判で認められても、会社との信頼関係が崩れて職場に復帰するのが難しいこともある。金銭補償を選べれば、新しい職場を探すうえで安心材料になる」などと、賛成理由を述べています。
 この社説を読むと、あたかも実際の裁判実務などで、労働者が自ら退職を選択して金銭の支払いをうける解決(金銭解決)ができないかのように思えてしまいますが、誤りです。裁判の実務では、圧倒的多数の事件で、和解等を通じて労働者が金銭解決をした解決が現実になされています(*2)。要するに、日本経済新聞に心配をしていただかずとも、労働者は困っていない!わけで、こういった問題提起は本当に欺瞞的です。

 この社説は、「最も大切なのは十分な金銭補償もないまま泣き寝入りする労働者を減らすこと」とも指摘していますが、これはその通りです。
 厚労省の統計では、2022年7月8日時点の解雇等見込みの労働者数は13万人を超えています。その中には、無効な解雇も多数含まれているはずですが、私たち弁護士や労働組合が介入すれば何らかの金銭補償を得られるはずの事案でも、何の補償もなく「泣き寝入り」が生じているケースも多いはずです。
 実際に、社会に不当解雇で泣き寝入り(争う余地があることを知らないケースを含む)をする事案が多いのは現実でしょう。

 本当にこういった「泣き寝入りする労働者を減らす」ために必要なのは、基本的なワークルールの啓発(解雇のルールだけでなく、どうやったら争うことができるか専門家への相談方法など対処法を含む)、解雇予告手当(現在は1ヶ月)の大幅な拡充、労働審判制度など労働者が解雇を争うために利用しやすい制度の充実(弁護士費用の援助制度拡充など)、労働者の就労請求権を認める法整備などであり、政府が早急に取り組むべき政策は沢山あります(が、これは議論されていません)。
 こういった政策が、コロナ禍で不当に解雇され悔しい思いをし、将来の生活不安を抱えた方を惹きつけるものであろうとも思いますから、先の国政選挙などでも問題提起がなされて大きな争点になっているということもないので、とても残念です。

 ちなみに、政府が「労働者メリット論」を表に出して、使用者側に有利な法制度の導入を試みるのは、今回が初めてではありません。不安定雇用を拡大する派遣法改悪、労働時間規制を骨抜きにする高度プロフェッショナル制度、いずれも、労働者の多様な働き方を確保する、裁量ある働き方を尊重するなど、法改正時は労働者側メリットを打ち出して導入が議論されます。
 そして、なぜか選挙の前には、政権与党の関係者は、こういった労働法制の問題は固く口を閉ざします。先の参議院選挙でも、解雇の金銭解決制度は自民党の政権公約(*3)には掲げられていません。
 私たちは、賢い市民・有権者として、政治を注視して、声を伝えねばなりません。

*1 厚生労働大臣等の諮問に応じ、労働政策に関する重要事項を公益・労働・使用者の委員で調査審議する会議。
*2 独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した調査(2015年)によれば、2013年に4地方裁判所で調停又は審判した労働審判事案(司法統計上、「金銭を目的とするもの以外・地位確認(解雇等)」に分類された事件に限る。)452件のうち96%が金銭で解決されています。
*3 自由民主党/政務調査会「総合政策集2022 J-ファイル」