ALTの尊厳/山岡遥平(事務所だより2018年9月発行第57号掲載)

1 「ALT」をご存知でしょうか?

 ALTとは、Assistant Language Teacherの略で、日本語では、外国語指導助手となります。
 英語を教える際、教員の助手として業務を行う仕事ですが、外国人がこれを担っています。国のJETという国際交流プログラムを使って来日している方や、その他の民間企業に務め、語学の教員としての派遣・業務委託により授業に参加している方等がいます。

2 ALTの問題

 国際化が進む現在において、早期から外国語、特に英語を学ぶ必要性と重要性に鑑みれば、生きた英語を教える人材として、ALTは非常に重要です。

 ただ、このALTは、ここ横浜の公立高校をはじめ、その尊厳が冒されるような働き方となってしまっているのです。
 すなわち、ALTを用いるには、主に3通りの契約形態があります。①市や教育委員会による直接雇用、②派遣の利用、③業者への業務委託(請負)です。横浜市では、少なくとも平成29年までは、③業務委託を用いており、入札によって受託業者を決めています。

 この、業務委託の方法による授業は、単にALTの身分を不安定にするだけではなく、実質的には派遣(「偽装請負」)と言われないようにするため、教員とALTの間でコミュニケーションが十分にとれないという大きな問題が生じてしまっています。

3 労働者派遣と請負

 まず、労働者派遣と請負の違いを説明しましょう。A社が労働者Wを雇用する派遣業者又は受託者、B社が労働者を業務に就かせる派遣先又は委託者として説明します。

 労働者派遣は、労働者Wを雇用しているA社(派遣元)が、実際に労働者が働くB社(派遣先)に労働者を派遣し、B社の指揮監督のもと、労働者Wを業務に従事させる、というものです。この労働者派遣は、許可が必要であるなど、様々な法的規制のかかった業務です。これは、労働者を使用する者が支払うお金から、仲介業者がお金を抜き取ることによって、労働者の生活に十分なお金が支払われなくなることを防ぐ(中間搾取の防止、といいます。)等の目的のためにある規制です。

 一方で、業務委託(請負)は、委託者B社が受託者A社に業務を行うことを任せ、受託者の労働者WがB社の業務を行うことまでは派遣と似ていますが、Wに指揮監督を行うのは、B社ではなく、A社です。
 B社がWに命令し、指揮監督が行われると、実質的には労働者派遣であるとして、法律違反(労働者派遣法違反)になってしまうのです。

 業務委託は、ALTでいえば、ALTを雇用する会社が、英語の授業補助について教育委員会から委託を受け、ALTを学校で業務に従事させることになります。
 ここで、学校から指揮監督が行われると、実質的には派遣で、「偽装請負」となってしまいます。
 そこで、受託業者は、ALTに、「先生と話をするな」とか、「授業の打ち合わせをするな」などと要請することすら行うようになります。すると、ALTと学校の先生で十分に連携が取れなくなってしまいます。
 そうすると、協働授業としてうまくいかなくなり、「テープレコーダー代わり」(つまり、発音のお手本をするだけ)となるなどの事態を招きます(このような問題を指摘する調査として、2014年の上智大学による調査)。

4 ALTの尊厳

  このように、業務委託にすることによって、協働授業が活かせなくなり、ALTたちは、異文化や言語を紹介・教授する者としてではなく、物の代わりになってしまいます。

 事実、私が事件を担当したALTの先生は、「多くのALTは、立ったり座ったりするだけ。ほら、髪の毛の色はこうだね、目はこう、鼻はこう、ガイジンだよ、という風に、見世物になっていることもある。それでも、自分の立場を守るためにALTの多くは強くものを言えないんだ」というようなことをおっしゃっていました。ALTの尊厳は、業務委託によって何重にも傷つけられかねない、現に傷ついている方もいる状況にあるのです。

 業務委託が切られてしまい、次の会社と契約を結べるか分からないため、ALTの雇用も安定しない、そうした弱い立場が、教員と十分に協働してALTとして業務をできないばかりか、自分たちを見世物にするような在り方にも強く物を言えない状況を作っています。

 真の国際化は、肌の色や見た目に関係なく、人と、相手の異なりを尊重しながら分け隔てなく接することから始まります。ALTを、教育を担う重要な労働者と位置づけずに軽視する姿勢や、ALTを見世物にしてしまう姿勢は、知らず知らずのうちにゼノフォビア(外国人嫌悪)の発露や、これを育む温床となっていないでしょうか。そうだとしたら、自分と「違う」人の尊重をすることからスタートする国際化にとって有害でしかありません。

 教育の側が率先して、外国人だからといって軽視することなく、教育の重要な担い手、社会の重要な担い手、一人の人間として、ALTをはじめとする外国人を取り扱うことによって、次の世代の人権感覚や、真の国際的な感覚が養われるのではないでしょうか。