9月1日は、関東大震災100年。たいへんな犠牲を思うとともに、いろんなことを考えてしまいます。
*関東大震災での大川署長
2020年1月、労働組合の旗開きで、鶴見出身の委員長の方から、関東大震災の際、朝鮮人を殺せと叫ぶ鶴見署を囲んだ群衆に対して命を賭して守った大川常吉署長の話がありました。調べると『震災美談』(中島司著、大正13年)という本に出ていて、国会図書館のウェブ・サイトから読むことができました(*1)。本の内容はほぼ次のようなものです。
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震災の翌日の早朝、「誰と言ふとなく、横浜では地震を勿怪(もっけ)の幸いに、不逞鮮人数千群をなして、家に火を放ち、貨財を掠奪し、人命に危害を加え、婦女を陵辱し、井戸に毒を投ずるなど、あらゆる残虐を恣にして居る、そして彼等は帝都を指して殺到すべく、程なく此処へやつて来るから気を付けよとの警告が疾風のように耳から耳に伝わり」「東海道はさながら戦場のような騒ぎになってしまった」(原文は旧字で、漢字にかなはなし。以下の引用も同じ)。
9月2日の午後、息せき切って横浜方面から避難してきた中国人とおぼしき4人連れが井戸を見つけ代わる代わる渇きを癒やしていたが、その中に2本の瓶を携えていたものがあり、警戒していた民衆は、怪しいぞ、てっきり朝鮮人に違いない、あの瓶の中身は毒薬だ、それ引っ捕らえろ、ということになり、有無を言わさず警察に連行した。
大川署長はすぐに取り調べ、連行されたのが中華民国の人たちで瓶の中身はビールと支那醤油であることを確認し民衆に説明した。しかし、民衆は署長の言うことをきかず、署長は並み居る民衆の目前で両方の瓶の液体をぐっと一息に飲んで見せた。
警察に連行される朝鮮人は署内に収容できないほど多数にのぼり、署長が、危険な人物はいない、よし不逞漢がいたにせよ警察に収容する以上問題は起こりようがなく安心してほしいと説得するも群衆は承知せず、警察署構内に収容できなかったことから總持寺境内に移して警察が責任をもって監視することになった。
しかし有力者たちは、一刻も早い鶴見からの放逐を求めた。署長は、宜しい、諸君がそれほど希望するなら放逐しよう、普通のところに手放すわけにはいかないので遠方へ送り出そう、と言って人々の感情を一時和らげておき、總持寺から警察署に護送した。だが、民衆の要求は強まるばかりで、千人以上の群衆が警察署を取り巻き、いまにも暴行を加えんとする気勢を示した。
大川署長は、「手をくだすならしてみよ。はばかりながら大川常吉が引き受ける。この大川から先に片付けた上にせよ。」と群衆を睥睨した。群衆はしばらくどよめいていたが、代表者ら数名は、署長に対して、それなら警察署に預かってもらおう、しかし1人でも脱出したらどうするのかと詰め寄った。署長は大きな拳で胸板を叩き、「我輩も男だ。若し一人でも此処から逃走した者があったなら、我輩潔く君らの前で割腹して申し訳する」と言い放った。かくして約300人の人々が保護された。一般避難民として扱うことについて鶴見町会の了承を得て食糧問題を解決させ、神奈川県庁に要請して汽船華山丸に収容させることができた。
大川署長は、今日あれだけの勇気を顕すことができるかは自分にも判らない、素より当然の職責を尽くしたのみと述べている。
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恐怖や不安がある時、そして危機が深刻なほど、様々な情報に踊らされやすく、それに予断や偏見が大きな役割を果たすことになるのでしょう。東日本大震災でも、新型コロナのもとでも間違った情報が広がったといいます。いかに正しい認識を得て、流言が広がるのを阻止できるのか日々の努力の必要性を感じます。
*チェコのカレル・チャペック
チャペックはロボットという言葉をその戯曲の中で最初に使ったことで有名ですが(*2)、彼は、新聞のコラム記事で、関東大震災について、次のように述べています(*3)。
「トーキョーを崩壊させ、ヨコハマを水びたしにし、フカガワとセンジュとヨコスカを火の海にし、アサクサを粉砕し、カンダとゴテンバとシタヤをめちゃくちゃにし、ハコネを崩して平らにし、エノシマを飲み込んでしまったこの震動は、これらの異国的な名前が語るほどわが国から遠くで起こったものではない。それは、おそらく、援助の手が届く範囲だろう。」
「デリケートな文化を持ち、疲れを知らぬ勤労の町々が廃墟になっている。」
(世界大戦の恐ろしい災害の後ではたいしたことではないかもしれず、おまけにあまりにも遠くの出来事であるが)「地表に起きたこの波に、全世界の人間の心の波に応じないとしたら、恐ろしく皮肉なことである。心の波とは連帯の波のことだ。」
関東大震災の時、アメリカをはじめ、中国やキューバも含むほとんどの国から援助がなされたということです。義捐金、救援物資、救助隊、励ましのメッセージが送られていたのです。
しかし、そのしばらく後には、日本が戦争を始めることとなりました。
今、東日本大震災の時に、国内外の様々な人が心を寄せてくれたことを思いだし、その心を決して忘れてはならないと改めて思います。
*1 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981895
国会図書館デジタルコレクション『震災美談』の中の「八 朝鮮人に手を下すなら 先づ我輩から片付けよ・・・・豪膽な鶴見署長」 出版は震災の翌年。
著者は、「内地人にして朝鮮人のために又朝鮮人にして内地人のために任侠義勇の精神と行為とを発揮したる事実の随所に存する」「洵(まこと)に人類崇高の行為と謂はねばならぬ。されば之を闡明(せんめい)し、之を顕揚するは、即ち正義人道の存在を瞭(あきら)かにして、社会人心に裨益する所以である」としています。そして「震災地並びに隣接地方を遍歴の際、資料の蒐集に実地の踏査に、各地官憲より多大の示教と便宜を蒙むった」ことへの謝辞があります(引用は「標題」から)。
敢えて当局にも容認される美談のかたちをとって出版され、政府や軍の行為は意図的にぼかしてあるように思います。
*2 カレル・チャペック(1890/1/9-1938/12/25)は、「ロボット」は彼の兄ヨーゼフがつくった言葉だと述べているようです。
チャペックは、チェコの困難な時代を生きた人で、小説家、劇作家、ジャーナリスト、園芸家。そして犬と猫についてのお話しもあります。
『イギリスだより』では彼のデモクラシーや祖国への思い、『マサリクとの対話-哲人大統領の生涯と思想』では、その深い思想性を感じました。
*3 『いろいろな人たち チャペック・エッセイ集』(平凡社ライブラリー)所収「ゆれ動く世界」(飯島周訳)