1 東京高裁令和4年11月29日判決
2022年11月29日、東京高等裁判所は、労災支給決定について、使用者が取消訴訟を提起することを認めました。
この事件は、原告会社の雇用する労働者が2015年に精神疾患に罹患し、2019年にその精神疾患が労働災害だと認められましたが、その労災認定が誤っており、違法であるから取り消されるべきであるとして、使用者である会社が訴訟を提起したものです。
これまでは、労災支給決定が労働者にあったとしても、厚生労働省はこれに対する異議申立(審査請求等)を認めていませんでしたが、東京高裁は、メリット制の適用によって労災保険料が上昇するおそれがあるとして、労災支給決定の異議申し立てを使用者ができる、という判断をしたのです。
これは大変大きな問題です。
2 取消になってしまうと…
労災支給決定が取り消されると、取り消された決定に基づき被災者や労災指定病院などに支給されていたお金(治療費や休業補償など)は受け取る理由がないものとなってしまいます。
そうすると、労基署や厚労省としては、労災保険給付として支払ったお金を取り戻すことが原則的な対応となってしまいます。
このことによって、以下のような重大な問題が生じます。
⑴ 生活に困窮している労働者が多額の金銭支払いを要求される
取り消されるのが例えば1週間くらいのケガであれば、そこまで大したものになりません。
しかし、取り消される労災は、精神疾患で長期の療養を要するものや、被災者が死亡したような重大なものになると見込まれています。なぜなら、使用者としても異議申立てに相当の手間や費用がかかる以上、民事の損害賠償や労災保険料(*1)等への影響が大きい重大な労災を対象に、異議を申し立てることが見込まれるからです。
他方、労災で休んでいる労働者は給料をもらえないのが通常であるため、労災給付を頼りにして生活しています。遺族年金を頼りにしている遺族も多くいます。
この労働者や遺族が、事後的に「あの労災は間違っていたからお金を返してくれ」と言われたらひとたまりもありません。
精神疾患や脳心臓疾患の労災は、調査に時間がかかるため、申請から決定まで1年以上かかることもあります。そして、使用者による取消訴訟が提起されたとすれば、その結果が出るまでさらに1年以上かかることになります。実際、前記東京高裁の事件も、被災者が精神疾患になったのは2015年で、取消訴訟は発病から7年経った現在も係争中です。
この労災支給決定が取り消されると、実に2015年から10年分近くの支給額を返還せよ、ということになります。
こうなってしまうと、被災労働者としては、取消訴訟が提起されるリスクがなくなるまでは安心して支給された労災保険金を使うことができなくなってしまいます。その間、被災労働者はどうやって生活すればよいのでしょうか。
労災保険制度は、そもそも、災害に遭った労働者が安心して療養できるようにするためのものです。この「安心して療養」の中には、使用者との訴訟を経ないでも速やかに補償がなされる、ということも含みます。
高裁判決は、迅速な解決を言いますが、全く非現実的で、被災労働者の生活を破壊する、労災補償保険法の趣旨に反する判決です。
この点を前記高裁判決の原判決であり、使用者が取消訴訟を提起できないとした地裁判決はしっかり考慮していました。
⑵ 被災者・遺族への精神的負担
特に精神疾患の労災や、過労死事件のご遺族にとっては、取消訴訟を提起されること自体、極めて大きな精神的な負担になります。会社が依然として争っているという事実自体ストレスですし、上記のとおり、自身の生活が破壊される可能性があるからです。
被災労働者の体調悪化や回復の遅れ、最悪の場合は亡くなることすら危惧されます。
⑶ 労災実務への悪影響
使用者による異議申立てが可能となれば、労基署や厚労省は異議申立て(審査請求や取消訴訟)への対応もしなければならなくなります。現在、労災認定の現場には人員が不足しており、ただでさえ過重になりがちな監督官の業務がさらに過重になりかねません。
これまで以上に労災認定までに時間がかかり、被災労働者に負担がかかることや、労災の事実認定や負荷の判断において会社よりの判断をすることが懸念されます。
3 支給決定の取り消しを許さないために
上記のように、東京高裁判決は被災労働者の現実を踏まえない、実に非人間的といってよい判決です。
この判決を確定させないために、国は上告受理申立てを行い、被災労働者(補助参加人。代理人は弊所の嶋﨑弁護士、西川弁護士と私)も上告・上告受理申し立てをしています。
そして、厚生労働省も次善の策として、メリット制(*1)による労災保険料の増額に対する使用者の異議申立てにおいて、労災支給決定の違法性を争うことを認めることで、支給決定自体は争わせないようにしようとしています。
この記事をお読みになった皆様も、ぜひこの問題に注視していただき、最高裁が誤った判断をしないように声を上げていただきたいと思います。
*1 一定以上の規模の使用者については、3年間に支払った労災保険料と、業務災害として被災労働者やその遺族に給付された金額の割合に応じ、労災保険料を±40%の間で変動させる「メリット制」が導入されています。
簡単に言えば、規模の割に労災保険給付が少ない(重大な事故が少ない)と労災保険料が安くなり、労災保険給付が多い(重大な事故が多い)と労災保険料が高くなるというものです。