奨学金の「過大請求」その後のその後/西川治(事務所だより2023年1月発行第66号掲載)

 奨学金制度を実施する日本学生支援機構(旧・日本育英会。以下「機構」といいます。)の保証人に対する「過大請求」について、たより58、64で取り上げました(*1)。

 簡略に述べると、機構の奨学金制度では(機関保証を除き)連帯保証人と保証人各1人が必要とされ、本人が返せないと連帯保証人は全額返済する義務を負いますが、保証人の返済義務は「分別の利益」(民法456条)により半額のみです。ところが、機構は保証人にも全額を返すよう請求し、保証人の多くは全額支払う義務があると思い、既に全部支払ってしまった人もいるという問題です。
 全額を払ってしまった保証人ら各2名が原告となり、機構に対して次の3点を請求する東京訴訟・札幌訴訟を提起していましたが(*2)、このたび解決に至ることになりました。

①過払分(2分の1を超える部分。不当利得)の返還。
②①に対する民法704条(悪意の受益者)の利息の支払い。
③慰謝料の支払い(不法行為又は債務不履行)。

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 機構は、この①~③すべてについて全面的に争いました。
 札幌訴訟では、第一審判決(札幌地裁令和3年5月13日判決)で①のみが認められ、控訴審判決(札幌高裁令和4年5月19日判決)で①に加え、②も認められました。機構は控訴審判決に対して上告・上告受理申立てを断念し、同判決が確定しました。
 東京訴訟では、札幌訴訟第一審判決を受け、②についてはいわゆるグレーゾーン金利について貸金業者を悪意の受益者と認めた最高裁平成19年7月13日判決(民集61巻5号1980頁)の判断枠組みに沿って判断すべきこと、③については貸金業者が借主に貸金の支払を請求し借主から弁済を受ける行為が不法行為を構成するか否かについて判示した最高裁平成21年9月4日判決(民集63巻7号1445頁)(*3)に沿えば不法行為を構成することを論じました。
 札幌訴訟弁護団も、特に②について東京訴訟同様の主張を行い、控訴審判決ではこの判断枠組みに沿い、②を認める判断となりました。札幌訴訟では③で機構があえて過大請求をしていたという故意の不法行為の主張のみを行っており、この立証は困難であったため(*4)、認められませんでした。

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 東京訴訟では、もともと和解協議にあたり、原告2名に限らず、すべての保証人の救済、つまり分別の利益を知らずに保証債務を超えて支払った保証人へ超過額を返還すること、判決や和解により全額の支払義務を負わされている保証人に本来の保証債務を超える部分の支払を求めないこと、今後保証人に支払いを求めるときは保証債務を超えて支払いを求めないことなど、分別の利益をめぐる問題全体の解決を求めており、裁判所の対応も理解的でした。
 機構が札幌訴訟の控訴審判決を受け入れたことで、東京訴訟でも和解協議が進み、最終的には機構側が「今後の機構の方針等について」(奨学金問題対策全国会議ウェブサイトに掲載)を示したことを受けて、2022年10月13日に訴訟上の和解が成立しました。

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 「出世払い制度」として、大学院段階において既存の貸与奨学金の仕組みを流用して、授業料相当額を機構から大学に支払う仕組みの導入が検討されるなど、学費・奨学金制度は目まぐるしく変わっていきつつあるように見えます。他方、割賦返還を基本とする貸与奨学金制度が主要部分を占めている状況は変わらないままですし、今後も大きく変わるとは思えません(*5)。日本の学費・奨学金の問題は、まだまだ課題が山積していますが、引き続き高等教育の機会均等確保のために力を尽くしたいと思います。

*1 https://kanasou-law.com/201901nishikawa/(2019年1月発行)
  https://kanasou-law.com/202201nishikawa/(2022年1月発行)
*2 2019年5月14日、東京地裁、札幌地裁に提訴。私は東京訴訟の原告代理人(弁護団事務局長)です。
*3 同判決は結論として不法行為を否定していますが、グレーゾーン金利を受領することを肯定するようにみえる法文が存在し、肯定する下級審裁判例もある程度あったたことを踏まえてのものです。分別の利益については、およそ法文、制定過程、起草者の解釈、判例、注釈民法の記載などに照らして機構の解釈が誤っているというほかなく、機構の解釈を採る下級審裁判例や学説は見当たらないなど、大きく事情は異なります。
*4 判決における主張整理で、故意不法行為のみの主張とされています。
 機構の誤りは、分別の利益が「抗弁権」であるというものです。分別の利益が「抗弁」との解釈は定着していますが、「抗弁」と「抗弁権」は異なります。主張立証責任という民事訴訟法(要件事実論)の議論ですので深くは立ち入りませんが、簡単に言えば、裁判官が他の保証人がいると分からないまま判決を書けば、頭割りにしてもらえないのはやむを得ないものの(「抗弁」の帰結)、保証人が「頭割りにしてほしい」と裁判所で述べたか否かに関わらず、保証人が複数いると分かれば、自動的に保証債務が頭割りになるということです(「抗弁権」なら保証人が言わない限り頭割りにはなりません。)。
 「抗弁」と「抗弁権」を混同すると、債務を弁済しても、債務者側が裁判所で弁済を主張するまで、債務は消滅しないという非常識な結論を導き、誤りです。ただ、機構が初歩的な法解釈を誤ったとしてもミスであれば故意ではなく、重過失です。
*5 高等教育進学率が高ければ、授業料を低廉又は無料とし、広い範囲の学生へ給付制奨学金を支給することは大幅な増税なしに不可能です。
 加えて高等教育進学者(特に大学)は比較的経済的に余裕のある家庭出身者の割合が高い以上、このような政策の効果は、かなりの部分が富裕層への経済支援となりかねません。
 さらに日本のように家族主義(学費は親が負担するのが当然)が支配的な下でこのような政策を導入すると、学生世代ではなく親世代(特に富裕層)への支援になってしまいます。
 このような政策が公正といえるのかは疑問です。
 他方、親負担を前提とする高学費の下、貸与制奨学金も返還方法に柔軟性を欠き、全部回収を前提とする現行制度は、親世代の格差の再生産という面を強化し、経済的な余裕の乏しい層の進学者のみに本人負担を強います。また、経済的に余裕があるとみられる親が学費負担を拒否すると、その子は(親の高所得のため奨学金が利用できず)学費を調達できないという問題を生ずるため、やはり公正とはいえないでしょう。
 学生本人が高等教育によって相当の経済的便益を享受することは統計上否定しがたく、それに見合った本人負担を求めることは合理的ですから、家族主義をできるだけなくしていく方向の制度設計が求められるのではないか、具体的には、学費は本人が卒業後に所得に応じて負担する(誰でも学費は本人負担=みんな奨学金を借りて、あとから返せる人だけ返す)ことを基本とする制度が合理的で公正ではないかと考えています。