「司法改革20年」に想う/鵜飼良昭(事務所だより2021年8月発行第63号掲載)

*「司法改革20年」

 司法制度改革審議会の意見書が出されてから、今年で20年がたった。これを取り上げたマスコミは、私の知るところ、6月12日朝日新聞の社説だけである。


 私なりにまとめると、

90年代に進められた政治・行政など一連の改革の総仕上げという位置づけで始まった司法改革は、法曹の増員、裁判員制度などで司法が身近になったと評価される。しかし他方で、安全保障に関する長年の憲法解釈を一片の閣議決定で変更する、検察官人事や学術会議の会員選びで内閣が万能のようにふるまう、意見書で重要視している「行政情報の公開と説明責任」を忌み嫌う、といった一連の現実は、「法の支配が社会の隅々にまでゆきわたり、個人の尊重と国民主権が真の意味において実現社会を築く」という司法改革の理念に逆行するが、司法はこのような政治の逸脱や怠慢をチェックする役割を果たしていない、「(司法改革は)道半ばといわざるをえない。」

というものである。
 確かに、90年代の政治改革・行政改革では、旧来の行政中心で肥大化した官僚組織や機能の簡素化・効率化が図られ、政治主導・内閣主導への転換が進められ、これによる権力の一局集中と強大な政治権力による専横が予測された。このような弊害を防ぎ、自律した個人を基礎とした自由で公正な社会とするには、法の支配の確立とそれを担保する司法の役割の強化が不可欠、というのが共通の認識であった。
 行政改革会議の委員も務め、司法改革を牽引した佐藤幸治司法制度改革審議会長は、意見書に込められた意味をこう述べる。

これまでの日本の「国のかたち」は、「統治者としての政府・官僚制による支配」であり司法・法曹の基盤は脆弱であった。しかしこれは憲法の国民主権の観点からも望ましい姿ではない。これまでの不透明な事前規制・調整型社会から、公正明確なルールに基づく社会、法の精神・法の支配の貫徹する社会への転換を図る必要がある。そのためにも、欧米に比べ圧倒的に少ない法曹人口の増加や司法への国民参加の推進などの改革を通じて司法の役割を強化する必要がある。

*労働審判制度の歩み

 社説のタイトルは「司法改革20年 未完の歩み つなぐ未来」であるが、「つなぐ未来」への手がかりとして、労働審判制度を取り上げたい。司法改革によって誕生したこの制度は、裁判員制度に比して余り知られず、この社説でも取り上げられていない。しかし、実務者の間では、司法改革の成功例といわれている。この制度の歩みを知ることで、司法改革の現状と未来を考えるヒントが見つかるかもしれない。
 司法改革の成否のバロメーターの一つは、そのスローガンであった「小さな司法から大きな司法へ」を端的に示す司法の利用者数及び法曹人口の推移であろう。
 まず、司法利用の典型である民事裁判件数(*1)をみると、2000年の14.8万件が一旦は09年に23.6万件まで増加したが、これをピークに減少し、19年は13.5万件と逓減傾向が続いている。
 他方この間、司法改革による法曹人口は増大し、弁護士数は、21年は00年の約2.5倍、4.3万人超となった。その結果、弁護士1人当たりの民事裁判件数は、00年頃までは概ね10件程度であったのが、19年には3.3件程度に激減し、弁護士困窮の時代ともいわれる状況となった。これを受け、法曹人口も年間3000人から1500人程度へと政策転換を余儀なくされている。
 多くの弁護士にとって、司法改革にプラスのイメージを抱くことができず、司法改革は失敗だったとの声すら聞かれる現状がある。
 しかし、司法改革後、着実に増大を続けている裁判がある。労働審判事件を含む労働裁判である。
 労働審判が始動した年(06年4月)の前年の労働裁判件数は2442件、その後の労働審判を含む労働裁判件数は、06年の3030件から増大し、20年には7867件と3.2倍となった。うち労働審判だけをとっても、06年の877件が20年には3907件に増え、21年は4000件台に乗るとも推定されている。
 振り返ってみると、90年代初頭のバブル崩壊のなかで、悲鳴ともいえる労働者からの相談が殺到した。しかしその圧倒的多数が、権利侵害を裁判に訴えることができず、泣き寝入りを強いられていた。労働裁判は、労働者にとって余りにも障壁が高いものであった。当時労働裁判は年間1000件前後、数十万件を数える西欧に比し2桁少ない数であった。私たち労働弁護士は、労働者がもっと簡易に利用できる労働裁判改革の必要性を痛感し、90年代後半から始まった司法改革の中で必死に訴え取り組んだ、その到達点が労働審判であった。労働審判は、3回以内の集中審理で権利関係に基づく結論を出す、判断の適正性を担保するため裁判官と同等の権限を持つ2名の労働審判員が審理に参加する(日本版労働参審制)、というものであり、その結果、現実に申立後3か月以内で結論が出され、その8割強がこの手続内で解決している。
 労働審判は、発足以来すでに10年と18年の2回、利用者アンケート調査が行われている。これは、「利用者の意見・意識を十分にくみ取り、それを制度の改革・改善に適切に反映させていく」との意見書のメッセージを忠実に実践しているからだが、調査結果から、労働者の司法へのアクセスが拡充されたこと、労働者の約6割が結果に満足していること、労働審判を契機に中小企業で法令遵守体制の見直しを行うなど職場への法の浸透という役割を果たしていること等の貴重な事実が明らかとなっている。

*今想うこと

 この制度の歩みを振り返ると、関係する組織や人々の尽力、とりわけ困っている労働者にこの制度を知らせその立ち上がりの手助けをしてきた、行政、組合(ユニオン)、弁護士(会)の存在を忘れることはできない。一人ひとりの労働者の立ち上がりとそれをサポートする人々の熱意と努力の小さな一歩一歩こそが、実は「統治支配の手段としての法」から「自由・人権を実現する手段としての法」の支配へ、という司法改革の理念の実現につながっていくのではないか。少なくとも労働裁判に関する限り、この理念は未だ新鮮に生きている。
 私は、労働裁判件数が年間1万件台を超えるとき、権利侵害に対し立ち上がることが普通のことと思えるような職場・社会の風景に変わっていくのではないか、と密かに夢想している。
 この労働審判調査を実施した東大社研は、また市民の「トラブル経験」調査も行っている(06年と17年)。過去5年間自らの又は家族の「職場トラブル」の経験者が、06年4.6%から17年18.4%へ4倍に、他のトラブルに比して際だって増加している。さらに、「重大トラブル」回答の内の「職場トラブル」比率も、06年7.2%から17年20.8%へと約3倍になっている。また、重大トラブルへの対応行動において、「職場トラブル」では専門機関への相談比率は13.7%と他の平均36.1%を下回っているが、専門機関相談による要求実現度や満足度は、いずれも30%超の高さである。このように、労働者の司法・弁護士へのニーズはますます高まっている。職場の権利侵害に対し、過去の「泣き寝入り」や「長いものに巻かれろ」から権利実現のため闘いに立ち上がるという労働者の意識と行動変容への条件が整いつつあるのではないか。
 私は、修習生時代に青法協裁判官の任官・再任拒否の司法反動化を体験し、その想いを胸に、90年代後半から始まった司法改革に一兵卒として参加した世代である。しかし今や、先輩や同世代は徐々に一線から姿を消し、圧倒的多数を司法改革後の世代が占めるようになった。最近、日弁連の機関誌「自由と正義」(5月号)の「編集後記」に、「かって『社会の隅々に法の支配を』というフレーズが流行ったことがあった。」「願わくは(このような)手垢のついたフレーズによる文脈で語られることがないよう切に願う。」とあるのをみて、些かショックを受けた。確かに、司法改革20年のための弁護士会の企画等も見当たらない。もしかしたらこれが司法改革後の弁護士世界を覆っている気分なのかもしれない。
 しかし私には、巨大化する政治・行政権力の横暴をチェックし、日本の民主主義や基本的人権の保障を確かなものにするために、果たすべき司法の役割はますます重要となっていると思える。それを体験によって知る世代として、次世代にどのように伝えることができるか、これが最後の仕事ではないか、という想いが募っている。

*1 地方裁判所の民事通常訴訟第1審新受件数。出典は司法統計。人事訴訟は、2004年に地方裁判所から家庭裁判所に管轄が移されたため、2002年の件数から除外している。

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