「多様性」の学び方/青柳拓真(事務所だより2021年8月発行第63号掲載)

 私は10代のうち7年間をシンガポールで過ごしました。「シンガポールに青春を捧げた」などと冗談めかして言っていますが、シンガポールに行っていなければ今の自分はないと断言できるほど、大きな影響を受けた場所です。
 新型コロナウイルスの影響で、事務所の関係者の方々と交流できる機会が皆無な現状(同期の弁護士ですら直接会ったことがあるのはまだ2人だけです。)ですので、自己紹介も兼ねて、シンガポールでの生活とその社会の「多様性」について書いてみたいと思います。

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 私が初めて「来星」(シンガポールに来ること)したのは、SARS騒動がようやく落ち着いた頃でした。空港を出た時の、むわっとしてまとわりつくような南国の空気をよく覚えています。高速道路沿いに背の高い椰子の木が立ち並んでいるのを見て、外国に来たんだなあとしみじみ実感しました。
 私は日本人学校に通いました。基本的なカリキュラムは日本と同じですが、シンガポールならではというものもあります。小学校では毎日外国人の先生による英語の少人数(5~6人程度)授業がありましたし、中学校ではイマージョン教育(「(英語に)浸かる」の意)として、音楽、体育、美術、家庭科などを外国人の先生から英語で教わりました。また、校歌の1文目は「陽を受けて光る椰子の木」と南国情緒いっぱいです。
 中学生の頃、現地の学校に1週間程度通う「交換留学」をし、印象的な出来事に出会いました。休み時間に、クラスメートが「君の宗教は何?」といきなり話しかけてきたのです。何となく不穏な空気を感じつつ、「無宗教だよ」と答えました。すると、彼はいきなり怒り出し、「なぜキリスト教じゃないんだ」と私に詰め寄ったのでした。私が当惑していると、他のクラスメートがやってきて「皆それぞれ違う考え方を持っているんだ」と彼を諭し、彼も渋々という雰囲気でしたが、自分の席に戻っていきました。私は、その彼の宗教に対する強い思いにも驚きましたし、また、それにもまして、皆異なる意見を持っていることが当然だという雰囲気にも新鮮な思いを抱きました。
 また、シンガポールのことを語るなら絶対に外すことができないのがホーカーセンターです。ホーカーセンターというのは屋台が一か所に集まった屋台村のような場所で、シンガポールの各地にあります。中華料理、マレー料理、インド料理など様々な国の料理を手軽な値段で食べられるので、部活帰りに友人とよく行ったものです。多民族国家を象徴するこのホーカーセンターは、2020年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されています。

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 このような生活を通して、私は、「多様性の尊重」ということの意味の一端に触れたように感じています。シンガポールには中華系、マレー系、インド系などの様々な民族的背景を持った人がいます。皆それぞれ違うのだということを前提にしなければ国として成り立たず、そしてその「多様性の尊重」によって、ホーカーセンターのような豊かな文化も生み出されていくのです。いわば、個人個人が異なる存在であることを前提に社会が成り立っています。
 翻って、日本社会においては、むしろ個人個人の同質性が社会の前提となっているように思われます。民族的・宗教的背景等が似通った人が圧倒的多数な社会においては、自然なことともいえます。
 しかし、このような社会では、積極的に想像力を発揮し自らアンテナを張っていないと、自分と他人との違いを見落としてしまい、多様性を実感することが比較的難しい社会なのだと思います。
 そして、大事なのは、自分と他人との違いに着目することなく、「多様性を尊重すべき」というべき論のみが共有されても意味がないということです。
 むしろ、何となく「あれもこれも尊重しないといけないんでしょ」という雰囲気だけが漂い、表面的には様々な個性が尊重されているように見えても、内実は個々人がただ互いに対話もなく無理解なまま分断されているだけということになりかねません。
 何か妙案があるわけでもなく、私個人にできることは微力ではありますが、人と異なることを理由に苦しい思いをされている方の力に少しでもなれるよう、シンガポールの強烈な日差しとスコールを懐かしみつつ、日々を送っています。