「旗出し」というのがある。規模の大きい裁判事件でいよいよ判決が出される日、法廷の傍聴席に入りきれない支援の人たちが裁判所の玄関前で、判決の第一報を待ちかまえる。その場所に、法廷で判決結果を聞いた弁護士が、「全面勝訴」とか「不当判決」とか大書した「旗」を持って走り出て、皆さんの前でその旗を開く。しばらくシャッター音が鳴り止まないこともある。ある種の儀式性を帯びた第一報である。
判決の結果によって、大きな拍手が湧き起こり、あるいは怒りの声が渦を巻く。判決の勝ち負けは、大きく重い。人の人生が左右される。だから「旗出し」の儀式には、悲喜こもごもの思いが凝縮される。
2014年5月21日午後2時過ぎ、厚木基地第4次航空機騒音訴訟の判決が言い渡された横浜地方裁判所101号法廷からは、まず、2人の弁護士が2本の旗を持って飛び出していった。1本は「民訴 差止め 認めず」、もう1本は「民訴 爆音違法 賠償勝訴」。次に約3分後、もう1人の弁護士が、裁判史上初めての文字をしたためた旗を持って走り出た。そこには、「行訴 差止め 勝訴」と書かれていた。
「旗出し」は、若手の弁護士に任されることが多い。古手の弁護士である私は、ありうる判決内容を予想して合計6本用意した旗の中から、言い渡された判決に応じて特定の旗を選び、走り出る若手弁護士に託する役割を受け持った。裁判長が言い渡す判決の主文を聞いて、その内容を誤りなく把握し、どの旗にするかを決めるというのは、かなり緊張する瞬間である。
第4次の厚木基地訴訟は、民事訴訟と行政訴訟の両方の手続で、厚木基地に離着陸する自衛隊機と米軍機の飛行差止めを求めた(その説明はここでは省略する)。また民事訴訟で、激甚な航空機騒音による慰謝料の損害賠償を求めた。民事訴訟と行政訴訟の2つの事件を並行して進めたのである。
5月21日の判決は、まず民事訴訟事件から言い渡された。差止め請求は民事訴訟では不適法だ等として否定され、他方、相当レベルの損害賠償が認められた。それが「民訴 差止め 認めず」「民訴 爆音違法 賠償勝訴」の旗の意味である。
そして次に、行政訴訟の判決主文が読み上げられていった。米軍機の差止め請求や他のいくつかの請求を「却下する」とした後、佐村裁判長はたしかにこう言った。「防衛大臣は、厚木飛行場において、毎日午後10時から翌日午前6時まで、やむを得ない場合を除き、自衛隊の使用する航空機を運航させてはならない」。
自衛隊機に限られ、時間帯も部分的であるとはいえ、軍用航空機に対する初めての差止め判決の誕生であった。私は、行政訴訟用に用意した3種類の旗の中から、一部とは言え、これは歴史的な勝訴なのだとの思いをかみしめつつ、「行訴 差止め 勝訴」の旗を選び、北村弁護士に託した。気持は高ぶっていた。
自衛隊・米軍基地周辺の航空機騒音は激甚である。1975年以来約40年間、小松、横田、厚木、嘉手納、普天間、岩国の各基地周辺住民は、この耐え難い騒音を発する航空機の飛行差止めと損害賠償を求めて、繰り返し繰り返し、裁判を起こしてきた。厚木基地でも、1976年第1次提訴以来、今回が4回目の提訴となり、4次訴訟の原告数は約7000人にのぼる。そして裁判所は、これらすべての事件で(正確には、最高裁で破棄された厚木1次訴訟高裁判決を除き)、騒音は受忍の限度を超えて違法だとして、国に損害賠償の支払を命じてきた。しかしこれまで、米軍機にせよ自衛隊機にせよ、住民の悲願である差止め請求はことごとく排斥してきたのである。
裁判所がいくら騒音は違法だと言っても、日本政府も米軍も、それを改善しようとはしない。裁判所もまた、(いろんな理屈はあるが)差止めは認めない。厚木4次訴訟は、その理不尽な壁を突破するため、これまで民事訴訟という手続で求めてきた飛行差止めを、軍用飛行場について初めて、民事訴訟だけでなく行政訴訟でも求める手続を試みた。その結果、ごく限られた一部ではあっても、その壁が破られたのは間違いない。
さて、用意した6本の旗のうち、残る3本にどのような文字が書かれていたか。それは内緒だが、これからさらにめざすべき旗と、決して使いたくない旗と、それぞれ今後の指針として心にとどめておきたい。