無罪判決を受けて/石渡豊正(事務所だより2014年8月発行第49号掲載)

news201408_small 先日、初めて刑事事件の無罪判決を獲得しました。
 事案は、交差点における自転車同士の死亡事故です。
 略式手続(簡易裁判所において公判手続を経ないで罰金又は科料を科する手続)で罰金刑の言渡しを受けた後に弁護人に就任し、異議申立後の正式裁判で無罪判決となりました。
 本件で裁判所が認定した事実は以下のようなものでした。

 被告人は前方に赤信号を認めて交差点手前で約1分停止した後、右方を確認しながら再び歩くほどの速さで徐行し始めた。そして、右方の歩道(下り坂)から被害者の自転車が向かって来るのを確認したため停止した。しかし、被害者は相当の高速度(時速25ないし30キロメートルないしそれ以上)で進行しており、被告人を認めて驚愕のため適切なブレーキ操作やハンドル操作をすることができずに自転車もろとも転倒した。被告人の自転車と被害者の自転車が衝突したとは認定できない。

 検察官は、被告人が右方歩道先を見通せる場所で再度停止して右方の安全確認をしなかったことを過失として主張しました。

  これに対し我々弁護人は、「信頼の原則」に基づいて被告人に過失がないと反論しました。
 「信頼の原則」とは、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をするのが相当な場合には、たとえその被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、これに対して責任を負わない」という原則です。交通事故においては、刑事処分の必要性と交通の円滑化の要請を適切に調整するために判例において採用され、医療事故においても適用されることがあります。

 裁判所は上記の事実を認定した上で、一般的に自転車で歩道を進行する者にとって、他の自転車が歩道走行に適しないような高速度で走行し、高速度でなければ衝突を回避できる場所にいる自転車を認めて驚愕のためハンドルやブレーキの操作をすることが困難になることまで予見することはできないとしました。信頼の原則については、「本件に信頼の原則をあてはめられるか否かは別として」と判断を避けましたが、信頼の原則に関する主張が裁判所の判断に大きく影響したことは間違いありません。

 無罪判決の言い渡しを受けた私の気持ちは、喜びよりも安堵でした。この事件については弁護人に就いた当初から、起訴の必要性について疑問をもっていたからです。
 被告人は、事故直後から裁判所の認定とほぼ同じ内容の供述をしており、それと矛盾するような証拠は他にありませんでした。そして、被告人の供述を前提とすれば、今回の判決は至極当然と思われます。本件は、起訴すること自体に問題があったと言えます。

 本件で、おそらく検察官は被害者の死亡という結果を重視して起訴という判断に至ったものと思われます。私も、結果の重大性に着目すること自体に問題があるとは思いません。
 問題なのは、結果の重大性のみに視点が置かれ、刑事責任が発生するためのその他の要件について慎重な検討がなされないことです。
 刑事責任は結果責任ではありません。故意・過失といった責任の要素(=被告人を批難できること)がなければ処罰されないという責任主義の原則が刑法にはあります。

 特に誰もが加害者になり得る交通事故において、安易な起訴がなされるようでは怖くて誰も自動車や自転車を運転することはできません。
 先に述べたように、「信頼の原則」も刑事処分の必要性と交通の円滑化の要請を適切に調整するために編み出された原則です。
 本件でも起訴不起訴の判断する時点で、結果の重大性のみに囚われず、被告人の過失についても慎重な検討がなされるべきで、そうすれば起訴という判断には至らなかったと考えられます。

 一般市民にとって検察官に起訴されて正式裁判を受けるということは、様々な面で大きな負担となります。公開の法廷に被告人として出廷し、証言し、判決の宣告を受けることは極度の精神的緊張を伴うものです。また、仕事や家庭にも多大な影響を与えます。
 検察官には、被告人に生じるこのような不利益をも十分に斟酌の上、法律の専門家としての冷静で客観的な判断をしてもらいたいと思います。