残業代による「労働時間規制」はなぜ存在するのか?-残業代ゼロ法は必要ですか-/嶋﨑量(事務所だより2014年8月発行第49号掲載)

news201408_small 労働基準法は、1日8時間・1週40時間を労働時間の最低基準として定め、この最低基準に反する時間外労働に対しては、割増賃金の支払いを義務づけています(労働基準法37条)。
 この残業代に関する労働基準法37条の規定がなぜ存在するのかについては、極めて重要なのに、あまり認識されていません。
 結論からいえば、残業代の支払いを命じるこの労働基準法37条は、長時間労働を抑制して、労働者の命と健康を守り、家庭生活や社会生活の時間を確保するために存在するのです(ご存じでしたか?)。
 例えば、以下のケースで、考えてみて下さい。

  労働契約の定め・・・1日8時間労働、賃金・時給1000円
  ある日の労働時間・・・9時間労働(1時間の残業)

 このケースで、8時間を超える1時間分の労働に対して、使用者は、時給1000円を超える、1250円を支払う必要があります(午後10時~午前5時までの深夜、休日労働であれば、さらに割増賃金が増加します)。
 使用者が、8時間を超える残業について、時給換算分1000円相当を支払う義務がある理由は簡単に説明できます。1日8時間分の労働しか合意(労働契約)で定めていないのですから、合意分を超えて働いた1時間分の賃金を支払わなければならないのは、当然です。 
 問題なのは、割増賃金が加算された1250円(時給1000円→時給250円・25%増し)の時給を、なぜ支払わなければならないのかです。

 このような、割増賃金の支払いは、使用者には大きな負担です。ですが、これがポイントなのです。
 労働基準法の定める1日の労働時間(原則8時間)を超えて労働者を働かせる場合には、25%増しの賃金を支払うよう命じることで、使用者が労働時間を減らすようにしているのです。つまり、使用者に、労働時間削減のため真剣に取りくませるために、長時間労働を抑制するために、この割増賃金の支払いを義務づける規制が存在するのです。
 しかも、この残業代支払いに関する規定は、とても厳しい規制です。違反した場合には、使用者は刑事罰まで科される可能性がある犯罪行為なのです。残業代不払いを、「犯罪行為」であるとして取り締まりを強め、長時間労働の抑制に実効性をもたせようとしているのです。

 ですが、残念ながら、わが国のあらゆる職場で、残業代不払いという違法が蔓延しています。公務・民間問わずあらゆる職場で、「犯罪行為」が放置されているのです。
 そして、日本の職場では、長時間労働を原因とする、「過労死」は今も頻繁に起こっています。正社員労働者(日本の男性労働者の約7割とされる)の長時間労働は、一向に改善せず、これが女性に家事・介護・育児などの家庭責任を押しつける要因となって、女性の社会での活躍の場を奪い、家庭生活との調和を不可能にして少子化の一因ともなっています。
 今の日本社会に求められているのは、残業代不払いという犯罪行為をきちんと取り締まり、労使一体、社会全体で、労働時間削減に真剣に取り組むことでしょう。


 現在、安倍政権は、実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払うことを基本とする制度を導入するとしています。対象労働者には、法定労働時間を超える労働(残業)と賃金との関係を切断し、長時間労働抑止のための労働基準法の規制を排除しようとしているのです(残業代ゼロ法)。
 この残業代ゼロ制度を、(1)成果に応じた賃金を支払う制度にするためだとか、(2)労働時間を削減するためだと説明されています。
 ですが、(1)成果主義賃金体系は、現在の制度でも十分に可能で、既に多くの労働者が成果主義の賃金体系で働いています。成果主義賃金を実現するために、残業代ゼロ法など必要ありませんし、両者に何の関係もありません。
 また、(2)労働時間を削減するために、残業代ゼロ制度が必要などという説明は、あまりに馬鹿げています。残業代支払いを命じる労働基準法が、そもそも労働時間を削減するために存在するのですし、世界標準の方策です。

「残業代欲しさに長時間労働している労働者がいる。そんな労働者は、残業代が払われなければ、長時間労働を止める。だから労働時間削減に役立つ」

  こういった説明で、残業代ゼロ法を評価する方もいます。
 ですが、仮に残業代欲しさに無駄な残業をする労働者がいるなら、使用者がきちんと指導して、残業を止めさせれば良いだけです。これは労務管理の基本だし、今すぐに実行できることです。残業代ゼロ法などなくても、無駄な残業を止めさせるべきだし、残業代ゼロ法とは無関係なのです。

 むしろ、残業代ゼロ法が成立すれば、残業代による長時間労働抑制という歯止めがなくなることの方が大問題です。使用者が労働者の能力を超えた成果を求め、今以上に長時間労働が蔓延することになるでしょう。もちろん、成果に応じて使用者が賃金を上げる保障など、どこにもありません。

 これに対して、長時間労働の予防策は、労働時間の上限規制を入れれば達成できるという方もいます。たしかに、労働時間の上限規制それ自体、長時間労働抑止にとって意味のある施策です。しかし、サービス残業がこれだけ蔓延している社会で、労働時間の上限規制が、それ単独で「実効性」のある歯止めになるとは、到底考えられません。そんな歯止めが実現可能なら、残業代支払いという今ある歯止めによって、今すぐにでも長時間労働を抑止できるはずなのです。

 政府がすすめる残業代ゼロ法が成立すれば、日本の職場に蔓延するサービス残業という「犯罪行為」を減らすことはできるでしょう。ですが、残業による長時間労働がなくなる訳ではありません。違法(犯罪行為)だったことを、単に合法化するだけ。こんな手法を、許すことはできません。

 労働者の命と健康を守る労働時間規制の改廃を論じるなら、今ある法制度の存在する意味と、日本で働く労働者の現状を直視する必要があるでしょう。