「裁判力」を見直そう/鵜飼良昭(事務所だより2015年1月発行第50号掲載)

news201501_small 2014年は、久しぶりに「裁判の力」を実感できた判決が相次いだ年でした。
 5月には、原発の運転差止を認めた大飯原発福井地裁判決と自衛隊機夜間飛行の差止を認めた横浜地裁判決が、10月には妊娠による簡易業務への転換を契機とする降格は均等法9条3項に違反するとしたマタハラ事件最高裁判決が、そして12月にはヘイトスピーチを断罪した1、2審判決を支持する最高裁決定が出ました。
    いずれも当事者の血のにじむような闘いに、裁判所が真正面から取り組んで答えを出した判決でした。もっとも大飯原発と厚木基地の判決は一審判決であり、国策の根幹に触れる事案ですから、高裁・最高裁の判決は決して予断を許しませんが・・・。

 戦後、裁判所は、憲法によって裁判官の独立の保障と違憲立法審査権が与えられ、憲法が保障する基本的人権・平和・民主主義の最後の砦として、国民から期待されてスタートしました。しかし、60年代後半から70年代にかけて、青法協会員の裁判官新任・再任拒否に象徴される「司法の危機」が起こって、裁判所の土台を揺るがし国民の信頼を失わせました。何を隠そう、私はこの時期に修習を終え弁護士となった世代です。

 その後裁判所は、内向きになって縮こまり、人権保障の砦という憲法の精神からはどんどん離れていったような気がします。そして90年代になると、日本の裁判所の特徴は「小さな司法」「消極主義」「閉鎖性」「中央集権」である、といわれるようになりました。そこで、このような司法を強い大きな司法にして、社会の隅々にまで法と正義が行き渡るようにしようとしたのが司法改革でした。そうすると、今回の判決は司法改革の成果か?と問われそうですが、そうだと確答できないのが苦しいところです。最近必要があって、司法改革の実現の状況を調べてみたのですが、残念ながらあまり進捗していませんでした。裁判所の予算は10年前と殆ど変らず、裁判官数も弁護士数が約2倍に増加したのに3割程度しか増えていない、弁護士任官も判事補の弁護士職務経験も進んでいない、最高裁事務総局に集中した裁判官人事の権限も縮小された形跡はない等々。

 でも、選挙の結果によって政治や行政の力が強大になり、国民の生活や権利がないがしろにされていく状況になればなるほど、裁判所の役割が重要となってきます。思えば「司法の危機」の時代、各地から司法の独立を求める国民の声が澎湃と巻き起こり、最後には全国規模の運動へと盛り上がりました。その後、裁判所に対する関心は急速に薄れていきましたが、「司法の危機」の渦中にあった私には、今こそ裁判所を見直し本来の姿に再生させる時代に入ったのではないか、という予感がしています。
 皆さんはどのようにお考えでしょうか?