レトロスペクティブとプロスペクティブという言葉をご存じでしょうか。
レトロスペクティブの原語であるretrospectiveには「回想的」とか「回顧的」という意味があり、プロスペクティブの原語であるprospectiveには「将来の」とか「予想される」という意味があります。
そのことから、レトロスペクティブのことを後方視的と、プロスペクティブのことを前方視的と言い表して使っている場合があります。
「後方視的」も「前方視的」も聞き慣れない言葉だと思いますが、医療訴訟について論じている文章、特に医療訴訟を批判する文章の中で時々見かけます。
そこでは、医療現場における医師の思考は前方視的で、医師は現時点で得られた患者に関する情報をもとに、診断と治療方法の選択を行っているということが強調され、悪い結果が生じた場合に、司法がその悪い結果という情報(診断時、治療時にはなかった情報)をもとに、後方視的に過去の医療行為の是非を審査することに対する不満が述べられます。
そのような文章で医療訴訟を批判する方は、医療訴訟では、過去の医療行為の是非を後方視的に審査することにより、「結果には必ず原因がある」と考えられてしまい、例えば「患者が死亡したからには、何らかのミスがあり、それが望ましくない結果につながった。」という理屈で判断されていると言いたいようです。
しかしながら、ここには、医療訴訟に対する誤解が含まれているように思えます。一つは訴訟制度そのものに対する誤解です。訴訟制度そのものに対する無理解ともいえるものです。もう一つは医療訴訟で審理されていることに対する誤解です。
まず、一つ目の訴訟制度そのものに対する誤解ないし無理解という点ですが、そもそも訴訟というものは、基本的に過去の行為を審査の対象とするものです。
損害賠償請求訴訟は、過去の行為によって生じた損害を金銭的に回復するための手続です。刑事訴訟も、当然のことですが、実際に過去に行われた行為が犯罪にあたるのか否かを審理するための手続です。
司法手続の中には、権利に対する侵害が迫っていて、それを防止するために、事前に行為を差し止めるという手続もありますが、そのような将来の行為を問題にする手続は、司法手続の中では例外的なものです。
社会における司法の基本的な役割は、人々や団体が活動した結果、権利侵害等が生じた場合に、事後的解決を図ることです(もちろん、事後的解決の集積は、その後の予防的効果にもつながります。)。
過去の行為の是非を審理するのは、司法にとって当たり前のことであり、各種の訴訟に共通のことです。医療行為だけが特別扱いされて、ここから除外されるということはありません。
ですから、訴訟は事後的な審査の手続だからレトロスペクティブ(後方視的)だといってみても、訴訟に対する正当な批判にはなりません。
憲法32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と定めています。いったん紛争が発生した場合、それを裁判によって解決するということは、紛争の両当事者にとっての権利です。医療行為をめぐる医療機関側と患者側との間の紛争も、裁判を受ける権利の対象となり、実際に裁判になれば事後的な審査が行われるというのが、この社会でのルールです。
日々のニュースを見聞していれば分かることですが、社会の様々な分野での活動が訴訟の対象となり、数多くの事後的審査が行われています。医療訴訟も、それらの一つにすぎません。
次に、二つ目の医療訴訟で審理されていることに対する誤解という点について書きます。
医療訴訟で審理される事項のうち、主要なものは、過失の有無という点と、因果関係の有無という点です。
過失の有無とは、行われた診療行為に注意義務違反はあったのか、行われた診療行為が不適切だったのかという問題です。
因果関係の有無とは、診療行為が不適切で過失が認められるとしても、そのような不適切な診療行為によって望ましくない結果が生じたのか(適切な診療行為が行われていれば望ましくない結果は発生していなかったといえるか)という問題です。
このうち、過失の有無という問題は、望ましくない結果が発生しているからといって、過失が直ちに認定されるというような単純な話ではありません。
過失とは注意義務に違反することですから、注意義務の基準となるものがあって、診療行為がその基準から外れていなければ、過失は認められません。
しかも診療行為における注意義務の基準は、診療行為当時の医療水準にもとづいて判断されます。裁判所は、「注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。」といっています(昭和57年3月30日最高裁判決ほか)。
裁判所は、診療行為当時の医療水準をもとに、実際に行われた診療行為が、本来行われるべきであった診療行為から外れているのか否かを、審査しているのです。訴訟が事後的な審査だからといって、過去の診療行為に対して現在の医療水準をあてはめているわけではありません。
また、因果関係の有無という問題は、医療機関の責任を絞り込む機能を有しています。
診療行為が不適切だったとしても、そのことと結果との間に因果関係が認められなければ(適切な診療行為が行われていれば望ましくない結果は発生していなかったといえなければ)、医療機関の損害賠償責任は否定されます。
この因果関係の有無の判断では、「医療の不確実性」ということが影響してきますので、因果関係の問題は患者側にとって高いハードルです(もちろん、具体的な不確実性の程度はケースと場面によって違いますので、「医療の不確実性」という抽象的な一般論だけで、具体的ケースにおける因果関係を否定することはできません。)。
結局、訴訟が事後的な審査手続であるからといって、医療機関側の責任が容易に認定されるというわけではないのです。医療に携わる方々が、プロスペクティブ(前方視的)な行為に対して事後的に審査を行うと、責任が認められやすいと考えているのであれば、それは誤解です。
医療訴訟における過失と因果関係についての主張・立証は、依然として患者側にとってハードルが高い作業です(もっとも、そのことは、弁護士が患者側の代理人として医療訴訟に取り組む動機にもなっていますが。)。
医療はプロスペクティブ(前方視的)なのに訴訟はレトロスペクティブ(後方視的)だという話から始まる医療訴訟批判は、訴訟制度の役割及び実際の審理方法についての誤解または無理解から来ているように思えてなりません。