ドラマ「虎に翼」と穂積重遠教授/野村和造(事務所だより2024年8月発行第69号掲載)

 NHKの朝ドラで「虎に翼」というのをやっている。
 女性初の判事、三淵嘉子をモデルにしているが、このドラマがなかなかすごい。
 フィクションであるから史実と違うところがあるのは当然であるが、登場する様々な人々は実在の人物をうまくとらえており、全体的には当時の雰囲気をわかりやすく示しているように思う(*1)。

 理念や理想を現実の中でどう実現していくのか、その狭間で奮闘してきた多くの人々の姿が、現在の問題と関連するかたちをとっていて、ついついテレビを観て反省したり考えたりすることになる。

「穂高教授」と穂積重遠

 ドラマで、明律大学(モデルは明治大学)法学部に女子専門部を創設する力となった「穂高重親教授」が出てきたとき、それが穂積重遠をモデルにしたものらしいことはわかった。しかしこれまで彼が民法学者で、法学者穂積陳重の息子だったという程度の認識しかなかった。
 ドラマの「穂高教授」は、人格者で、とてもかっこよく見える。少し調べてみただけだが、実際の穂積重遠教授は、女性に法律の道を開いたり、最高裁判事として尊属殺に反対したりしただけでなく、法学の範囲を超えて「社会教育と社会事業とを両翼」(*2)とした人物だった。
 彼は、平塚らいてう、高群逸枝などの運動家を支援し、またセツルメント運動にも大きな役割を果たし、1938年にセツルメントが解散を表明するまで「大黒柱というよりも、巨大な防波堤として」深くかかわったという(*2)(*3)。渋沢栄一の孫ということもプラスに働いたのかもしれない。 

東大セツルメント法律相談部

 私は東大セツルメント法律相談部にいたことがある。当時の顧問は、川島武宜教授と来栖三郎教授だったが、川島教授はセツルメントの法律相談に参加したことがあるようで、そして来栖教授は穂積教授の弟子であった。
 東京大学セツルメント法律相談部「歩む」第7号(昭和44年4月)の巻頭「セツルメント事業に対する社会の評価」で、川島教授は次のように書いている。

「有力な人、権力者の側につくことはやさしいが、有力でない人、下積みの人、権力に支配される人の側につくのは、勇気がいる。学生という、或る意味で一種の無責任的な社会的地位にある間でも、権力に支配される人、弱い人、下積みの人の側に立つには、やはり一種の勇気が要る場合が少なくない。だから、学生時代にセツルメント事業に参加するということも、同様であろう。しかし、まさにそれゆえにセツルメントの事業への参加は、若い学生諸君にとって、良心をテストし良心をきたえる数少ない機会の一つとなるように思われる。」

 また来栖教授は、同じ号の「民法の講義を始めるに当って」の最後に次のとおり述べている。

「あるとき、ハーバードの学部長が学期の始めに、学問にたずさわる者は一つには正確さへの熱意と、もう一つには人民の擁護をモットーとしなければならないと挨拶したといわれる。正確さへの熱意ということは、法の解釈適用が主観的なものであるということと矛盾しないばかりか、それ故に一層正確さを心がけなければならないのである。しかし、それだけでは足りない。その上に人民を擁護する心掛けが附け加わらなければならない。そしてこの二つは法律を学ぶに当たつて心に刻み込まなければならない。」

 ただ残念ながら、当時の私はこれらの人々のことをわかる能力をもたなかった。

論語と穂積教授

 穂積教授は、満州事変以降も政府関係の講演や著作にコミットしたことから「八方美人タイプ」と言われていたらしい。
 川島教授はそれらの風評は虚像で、実際の穂積教授は「権力に対しても自分の主張をつらぬく強靱な『さむらい』の魂があった」と述べている(*4)。
 そのバックボーンとしては、渋沢栄一と同様に論語があったのだろう。
 穂積教授には「新約論語」という著書があるが、国に道なく乱れているとき、政府に仕えた史魚と、そのような場合自ら辞して下野した蘧伯玉について、蘧伯玉に軍配をあげるような論語の記述に異を唱えている部分があるという(*5)。
 困難な政治・社会情勢の中で、なにをなすべきか闘ってきた姿が目に浮かぶようである。

*1 「三淵嘉子と家庭裁判所」(清永聡編著、2023.12)
*2 「穂積重遠 社会教育と社会事業とを両翼として」(ミネルヴァ日本評伝選)(大村敦志、2013.4.10)
この本は読んでおらず、福岡県弁護士会の「弁護士会の読書」(①は無署名②は霧山昴)の孫引き
*3 藤沢真理子「賀川豊彦と東京帝国大学セツルメント」東邦学誌48巻1号(2019.6.10)15頁
*4 手島一雄「法学者・穂積重遠における個人と社会、法と道徳」世界人権問題研究センター研究紀要第18号(2013)105頁
*5 *4に同じ。
なお「衛霊公第十五」にいう。
「子曰。直哉史魚。邦有道如矢。邦無道如矢。君子哉。蘧伯玉。邦有道則仕。邦無道則可巻而懐之。」(子曰く。直なるかな史魚。邦道あれば矢の如く、邦道なければ矢の如し。君子なる哉。蘧伯玉。邦道あれば則ち仕へ、邦道なければ則ち巻いて之れを懐にすべし。)