自民党で議論されているという「出産したら奨学金減免」という制度について、かなり批判が強いようです。
今回は、この「出産したら奨学金減免」制度を取り上げます。
まず、私はこの制度には賛成ですし、むしろこれまでこういった仕組みがなかった(猶予=先送りのみ)ことがおかしいくらいだと考えています。
他方、奨学金の返還免除を餌に子どもを産ませようという発想であれば軽薄であり、また「異次元」(の少子化対策)と呼ぶにはあまりに貧弱であると考えています。 なお、現時点では「出産したら奨学金を減免する」というアイデア程度しか明らかにされておらず、その詳細が分からないことは前提として指摘しておきます。
例えば、次の点も明らかにされていませんが、これらが明らかになれば評価が変わることもありうるでしょう。
- 免除範囲:産休・育休期間中の返還額のみ免除するのか、将来の返還分まで免除するのか(例えば、1人産めば半額免除、2人目なら全額免除など)
- 対象者:出産する女性のみか、その配偶者や子の父を対象とするのか。
- 条件等:出産したら(休業の有無や期間を問わず)免除とするか、出産~育児中の休業期間に応じて免除とするのか。
1 なぜ批判されるのか。
私が見た限りでは次のような見地からの批判がなされているように思います。
いずれも、そういった感情を抱く方がそれなりにいることは自然なことだと思います。
- 不平等、不公平その①
奨学金を借りた人の多くが返還で苦しんでいるのに、出産した人だけ救済するのは不平等である。特に子どもを産めない人、子どもを産まない選択をした人、結婚しない選択をした人、LGBTQカップルなどは最初から対象にならないではないか。 - 不平等、不公平その②
出産や育児で大変な人はたくさんいるのに、奨学金を借りていた人だけ救済するのは不平等である。頑張って学費を稼いで大学や専門学校を出た人はどうするのか。 - 少子化対策として効果があるのか疑問がある。
- 少子化対策として行うこと自体に疑問がある。
- 奨学金を免除するから子どもを産め、といわれているようで納得できない。
2 不平等、不公平その①(返還者の間での比較)
たしかに、奨学金を借りた人のうち、出産した人だけ返還免除になるというのは、一見すると不平等、不公平なようにみえます。
しかし、少なくとも女性は、出産に伴いある程度の期間就労できなくなります。さらに相当期間、就労が制限される(短時間勤務など)ことも少なくないでしょう。
男性についても、育休を取得するなどして育児を分担することへの期待が強くなっており、子が生まれることに伴い、男性もある程度の期間、就労できなくなったり、就労が制限されたりすることは少なくありません。
子どものいない人は引き続き就労収入を得られる一方、出産した人は就労収入が得られなくなります。就労収入がなければ、奨学金を返せないことは容易に想像できますから、出産した人だけ支援することは合理的です。
* * *
ここで、減免ではなく返還を先送りする(返還猶予)という制度も考えられます。
例えば、現在の日本学生支援機構は、産休・育休中は返還を先送り(返還猶予)する制度を設けています。
しかし、出産・育児で休業しても定年が延びることはありません。つまり、休業した分だけ生涯を通じた就労収入が減少します。
さらに、休業しなかった同期と比べて出世が遅れるかもしれません(*1)。そうであれば、ますます生涯を通じた就労収入が減少します。
生涯を通じた就労収入が減るわけですから、奨学金返済額も減らすのが合理的で、実質的平等に資するでしょう(*2)(*3)。
なお、社会保険料については、産休・育休中の保険料が免除されています(使用者負担分も免除)。この免除を受けても、年金額に影響はなく、保険料を支払った場合と同じ金額がもらえます。これと同様に考えればよいのです(*4)。
3 不平等、不公平その②(奨学金を借りていない人との比較)
たしかに、出産・育児で就労収入が断たれ、子育てにお金がかかるのは同じなのに、奨学金を借りた親だけ返還免除の支援があるというのは、一見すると不平等、不公平なように見えます。
しかし、奨学金を借りていない親の多くは、奨学金を借りている親と比較して、学生時代に家族からの経済的支援を受けることができ、その結果として社会人のスタートラインにおいて負債のない状態でスタートできた人たちです。そうすると、奨学金を借りている親に対してのみ支援することは、実質的平等を確保する政策といえます。
中には、家族からの経済的支援がないか少額ながら、ご自身で相当の苦労をされ、貸与奨学金なしで高等教育を終え、親になった方もいるでしょう(*5)。
このことを考えると、不平等の批判を免れないように思えますが、このような方は奨学金を借りていない親のうち少数にすぎず、その点に着目して議論するのが妥当とは思えません。
4 少子化対策としての効果
中央労福協の奨学金や教育費負担に関するアンケート報告書(*6)によれば、「奨学金返済による生活設計への影響」として「結婚」「出産」を挙げた割合が37.5%、31.1%であり、出産により奨学金の返還が減免されることになれば、一定の効果があるとみてよいと考えます。
他方、効果がどの程度あるかはよく分かりません。奨学金返還を続けなければならない負担「のみ」から結婚や出産を見送っているのであれば相当の効果があるのでしょうが、現実には結婚相手と巡り合えるか、結婚・出産後(その間の配偶者の転勤なども含め)も雇用を継続できるかなど様々な要素がありますし、そもそも影響があるのは高等教育に進学して日本学生支援機構の奨学金を借りた人だけです。劇的な効果は見込めないのではないでしょうか。
5 少子化対策として行うこと自体問題なのか
この点は評価が分かれるかもしれません。
私は上記2・3のとおり、実質的平等に資する公正な施策である以上、動機が不純であっても実施すべきものは実施すべきという考えです。
なお、出産のような個人の自由の領域に踏み込む施策であると批判する人もいるようですが、それを言い出したらおよそ出産・子育てを支援する政策はすべて否定することになりますし、追記に記載したとおり、出産・育児は社会全体にとってもメリットの大きいものです。
「個人の自由の領域に踏み込む」というのは、出産や育児を強制するような政策を批判するときに使うべきものであって、経済的メリットを提示して出産や育児を推奨するに過ぎない政策に対する批判に用いるものではありません。
6 奨学金を免除するから子どもを産め、といわれているようで納得できないという点について
奨学金の返還免除で誘導するのはいいですが、あくまで産むかどうかは個人の自由です。
本来、上記のとおり実質的平等に資する政策であるのに、少子化対策として打ち出したから余計に批判を浴びたという面はあるのではないかと感じています。
少子化対策といっても、女性の社会進出を制限したり、強権的に避妊や中絶を禁止したりすることは許されませんから(*7)、現実には出産や子育てを支援する政策を行って誘導するしかありません。その際、教育費を中心とする子育て費用の軽減は避けて通れないのですから、まじめに少子化対策に取り組むなら、教育に関する権利を保障することになるはずです。
したがって、「教育機会の均等の問題を少子化対策として論ずるのはけしからん」といった観点からの批判は、教育機会均等に資する政策を進めていくという観点からは妥当でないでしょう。
7 まとめ
以上のとおり、出産にあたって奨学金の返還を減免する制度は、実質的平等に資するものであり、これまでなかったのが不思議なくらいのまっとうな制度です。ただ、奨学金の返還免除を餌に子どもを産ませようという発想なら軽薄だと感じますし、この程度で何が「異次元」だとは感じます。
8 雑感
本件について、貧困問題や奨学金返還問題に関心が高いはずの人たちの側から、上記2や3の形式的平等の見地からの批判が加えられていることには驚いています。
たとえば、POSSEは「結婚しないと選択した人や、LGBTQのカップルだったりとか、子どもを作らない、作れない人だったりとか、そういった人を置き去り、排除してしまう政策といえる」と批判しています(テレビ朝日 23/3/3 23:30配信)。
まさに「出産した人だけ救われるのはずるい」という形式的平等の見地からの批判です。
貧困問題や奨学金問題に取り組むということは、実質的平等を実現しようというもののはずです。
単に形式的平等でよいのであれば、貧困であるほど支払うべき授業料が高額にならない(貧困であっても、富裕層と高くとも同額の授業料を払えばよい)現状ですら「平等」であるといいえます。
しかし、これで「平等」なはずはなく、その人の支払能力に応じて授業料や生活費を安くする(授業料免除や学生寮など)、授業料や生活費を給付する(給付制奨学金)、授業料や生活費を後払いできるようにする(貸与制奨学金)といった制度が十分設けられてようやく平等に近づくのです(*8)。
政府や与党の政策を批判するために、都合よく実質的平等と形式的平等をつまみ食いするのは間違いです。そんなことをやっていたら、実質的平等を実現する政策を進めようという社会になっていかないのではないでしょうか。
注釈・補遺
*1 単純に職業に従事する時間が減る以上、平均すれば職業経験の蓄積も遅れますから、子育ての経験をうまく活かせたなどの特殊事情がない限り、出世が遅れることは理論上否定できないように思います。
*2 出産・育児以外で収入が減り、返せなくなる人もいます。
それには病気や家族の介護、失業など個別に事情があるはずなので、その事情に応じて、減免や猶予といった対応をすればよく、出産・育児について減免を否定する理由にはなりません。事情もなく、返せるのに返さないのであれば、法的手段により回収することはやむをえませんが、真実「返せる」のかどうかは、的確に見極める必要があります。
また、子どもは、次の世代の担い手です(なお、現実にそうであるという以上の意味はありません。)。出産・育児はほかの人たち(当該親子以外)へのプラスの影響も大きく、ほかの事情と異なって出産・育児対応を手厚くし、特に減免とすることも十分合理性があるでしょう。
*3 理念も何もないただの借金であれば、単に「借りたものは返す」という当然の理屈だけで考えればよいので、このような配慮は不要です。救済の必要があれば、破産、再生などの制度で救済すれば足ります。
しかし、貸与奨学金というのは、一般に学生時代は収入がないか少額であるため、教育の機会均等を保障する目的で政府が学費(ここでは学生生活費を含む)を貸し付けて、将来の就労収入から返してもらうというものです。ただの借金ではないのです。
教育の機会均等を確保する、つまり意欲と能力(*9)のある人が学べるための経済的基盤を整えるのは人権保障であり、政府の責務です。同時に、産業が高度化した時代にあっては、経済的理由での進学断念により、能力を発揮する機会を失わせることは社会的損失が大きいと考えられ、教育の機会均等の確保は社会的投資でもあります。
学生はお金がないのが普通ですので、学費を生活費も含めて無償とするのが理想です。
しかし、それにはかなりのお金がかかるため、日本では現在、貸与奨学金を軸にして教育の機会均等を確保しようとしています。
貸与奨学金のメリットは、給付奨学金や授業料無償に比べ、同じ費用でより多くの人に、より多額の支援ができるという点(同じ人数・同じ額の支援ならかなり少額で済む、ともいえる)に尽きます。他方、働く年代の人たちに返還の負担を負わせるため、貸与奨学金を利用した人が出産すると、自分の奨学金を返還しながら、子育て・教育費用を負担しなければならなくなります。つまり、2世代分の教育費を同時に負担することになるのです。
出産に消極的になったり、子育てにお金をかけにくくなったりすることは十分予測できますし、返還負担を踏まえて貸与奨学金を使いたくないという人も出てきます。貸与奨学金を使いたくない=進学断念やアルバイトのしすぎになりかねません。これでは教育の機会均等を確保したことにはならないでしょう。
*4 そもそも、貸与奨学金と年金制度は、同種の制度ともいえます。いずれも働いて収入を得られる時期に費用を徴収し、働けず収入がない時期にお金を支給する仕組みだからです。年金の場合は「先に徴収→後で支給」となるのが、貸与奨学金は「先に支給→後で徴収」となるだけです。
この説明はイギリスの経済学者である、Nicholas Barr 教授が所得連動返還型貸与奨学金制度(Income Contingent Loan=ICL)について説明したものです。
*5 日本の奨学金制度は、高等教育段階でも親が学費を払うのが当然、という前提で制度設計がされています。
そのため、一般に子の学費を支払えるだけの経済力があると評価できる親が、大学は自分の金で行けとか、親の望む大学(学部)と違うから学費は出さないなどといい出した場合、子は親からの支援が得られず、給付・貸与の奨学金制度も利用できないという状況に置かれてしまいます。
利用できるものがあるとすれば、主に私立学校が独自に行うメリットベース(成績のみで経済状況を問わない)の学費免除・奨学金制度のみです。
私は、現状、親の経済状況を問わずに給付・貸与奨学金制度をすべての学生に利用できるようにするには時期尚早である(親の経済状況が困難な学生への支援を充実させる方が優先)と考えていますが、例えば、有利子奨学金に限っては家計基準を撤廃し、親の経済状況を問わずに利用できるようにしてもよいのではないかと考えています。
*6 「奨学金や教育費負担に関するアンケート報告書」、8p
*7 これはわざわざ書くまでもなく当たり前のことだと思うのですが、アメリカの状況などをみると、必ずしもそうではないようです。
*8 「近づく」としたのは、高等教育段階での経済的な問題だけ解決しても、完全な平等は達成できないであろうと思われるためです。すなわち、社会的・経済的に恵まれた家庭とそうでない家庭の子どもを比較すると、小学生の時点で既に学力(成績や自分は勉強ができるという自己評価)に差がついています(国立大学法人お茶の水女子大学、2014、「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」)。
そういった困難な環境にあっても進学の意欲と能力を備えた人は少なからず存在しますし、進学前後や在学中に家計が急変した人などもいます。この人たちがお金がなくて進学を断念するとか、退学するといったことを防ぐ制度を設けることは、とても大切なことです。
*9 「能力」に関し、もっと大学を減らすべきだという意見がしばしばみられます。大学進学率は10%台~30%前後だった時代を想定していると思われますが、日本の高等教育進学率は先進国中で特に高いわけではなく、質の向上(教育内容はもちろん、学部系統の割合、大学と専門大学・専門学校の割合を含む)は求められるとして、進学率自体を絞る(高等教育を受ける人の割合自体を下げる)のは政策的に誤りでしょう。
(補遺)
本稿執筆時点では、「出産したら奨学金減免」は具体化せず、他方で教員に対する奨学金返還免除の復活が2024年度予算の概算要求に盛り込まれると報じられています。
教員に対する奨学金返還免除制度は、1998年度から廃止されています。なお、研究者に対する免除制度は2004年度から、大学院における優秀者に対する返還免除制度に変更されています。
教員に対する奨学金返還免除制度は、それによって実質的平等に資するなどの事情は見受けられませんから、端的に教員志望者を増やすための政策的な観点から適否を検討することになると思われます。
そうすると、教員不足の原因が低賃金にあり、かつそれを当面是正することが困難な場合には、政策的な観点から特に批判するようなものではないと考えています。
もっとも、現在の教員不足の原因は、低賃金よりも労働環境の問題と思われます。当事務所の嶋﨑弁護士が指摘しているとおり(たより60号「『給特法』を考えよう」など)、残業代ゼロを認める給特法が是正されないなど、教員の長時間労働の是正に国も多くの自治体も本気で取り組もうとしないことから教員志望者の不足や多数の離職者が生じ、教員不足に至っているのではないでしょうか。
そうであれば、教員に対する奨学金返還免除制度は、教員志望者を多少増やす効果があったとしても、教員不足解消に向けた効果は限定的(費用に見合わないこともありうる)と考えます。
なお、副次的効果として、教員(特に高校教員)の奨学金に対する見方を「とても助かった」「いい制度だ」(借りたものの、返さなくて済んだのだから当然ですね)というものにすることで、高校生に対して積極的に奨学金を利用した進学を勧めるようになる、ということは想定しえます。これは、奨学金に対する必要以上の不安を和らげるというプラスの面と、将来の返済負担を甘く見て借りすぎる結果につながるのではないかというマイナスの面があります。
多忙な学校の先生方に、奨学金や高等教育進学の費用について勉強して正確な知識を持ってくださいというのは過大な要求ですから、とりあえず奨学金を積極的に利用してもらいたいというのであれば、有効な政策かもしれません(もちろん、弊害は生じえます。)。