「お気の毒な弁護士」山浦善樹(著)/野村和造(事務所だより2023年1月発行第66号掲載)

 司法研修所で同じクラスだった大阪の弁護士に久しぶりに会うことがありました。
 その時に、同期(26期)で最高裁裁判官をやった山浦さんが出している「お気の毒な弁護士」という本(*1)はとてもおもしろいと言われ、早速買って読むこととなりました。

 聞き書きの形をとっていますが、読み始めるとぐいぐいと引きつけられてしまいました(*2)。
 司法研修所26期は約500人(10のクラスに分かれる)、1972年から1974年の2年間の修習でしたが、当時湯島の旧岩﨑邸敷地内にあった司法研修所に通ったのは実質半年くらい。 
 クラスの違う山浦さんの顔も名前も知らなかったのですが、同じ空気を吸っていた時期があったことは間違いありません。
 私なりに山浦さんの経歴をまとめると次のようになりますが、この本の魅力を伝える自分の能力の乏しさにもどかしさを覚えます。

* * *

 お父さんは労災事故で右手人差し指を落とし、飯場暮らし。小学校2年から中学に進学するまでの5年間、毎週日曜日は、片道1時間のバスに乗ってお父さんの給料をもらいに行き、自分のからだより大きい1俵の炭俵を抱えたりして帰るといった生活。おばあさんと子どもたちが内職しても、教科書もろくに変えない経済的苦しさの中、給食費の袋を忘れたと言わなければならない、しかし、担任の先生はその意味に気づき気を遣ってくれた。
 中学校では身体を鍛えるため、バスケットボール部に入り、新聞委員会で取材、執筆、割付など1人で行う。同時に中学卒業後に信用金庫へ就職することをめざし、学校の勉強よりそろばんに力を入れた。
 担任の先生から奨学金制度があることを教えられ、就職をやめて高校に進学。
 対人関係が苦手だったことから、大勢の前で話ができるように生徒会長を引き受ける。

 大学の受験勉強を始めたのは高3の夏。曹洞宗「全芳院」の部屋で夜7時から11時頃まで勉強し、一橋大学法学部を受験した。落ちたと思って結果には無関心だったが、別大学受験のため上京した際、一応は見ておこうと発表数日後の一橋大学に行ってみたら合格していた。大学では、ベトナム戦争反対のクラス討論を提案し、市民運動を行う一方、大学寮の委員長になって累積赤字を解消。
 アイスクリーム工場での冷凍庫作業や築地魚市場の夜警などのアルバイトをし、帰省時には、母に東京土産とお小遣いを渡していた。学生時代しか米軍基地の中に入れないと思って立川米軍基地で働き、日本が植民地であると感じる(それは、沖縄の市民が米軍に対して持つ気持への理解となる)。

 就職は、試しに面接試験を受けた三和銀行に断られ、その足で三菱銀行を訪れて採用される。しかしそこは期待外れだった。連日薬剤師の妻に不満を言っていたら、「そんなところ!もうやめなさい。わたしが食わしてやるから」と言われ、入社約1年後(1970年)の5月に退職した(しかし同期の「入社30年の会」にも呼ばれている)。
 その年の8月頃、司法試験を意識し、司法試験1年突破計画を立てる。9月頃から翌年5月まで、朝8時頃から夜中の2時まで6畳一間のアパートで独学で勉強し、司法試験を上位1割の成績(論文試験)で合格した。しかし右目は失明寸前、0.2の弱視になっていた。
 弁護士の実務修習では(司法研修所では、裁判所、検察庁、弁護士事務所で、それぞれ実務修習をする。)、若い弁護士が大勢いて、いろんな事件を担当している弁護士事務所を希望して阿部・中法律事務所で修習。その事務所では採用をいったんは断られながらも、先輩弁護士がボスに話してくれ、そこで1974年4月、弁護士のスタートを切った。

 1979年4月には司法研修所の所付(修習生を直接指導はしないが、教官の補佐役としてカリキュラム作成を含め様々な仕事を行う)となる。
 1983年、独立して山浦法律事務所を開設。午後11時頃まで仕事をしていると、ドアを叩く音がし、ドアを開けてみると70歳くらいの女性がお弁当を持ってきてくれていた。付近の医院の奥様で、いつも遅くまで仕事をしているが食事をしていないようなので弁当を用意したとのことだった。
 1992年、司法研修所の民事弁護教官となり、民事弁護教官と民事裁判教官(裁判官)の協力に力をそそぎ、民事訴訟法改正対応に努力した。
 その後、山梨学院大学、筑波大学、中央大学のロースクールで学生たちを指導。
 所属している弁護士会派閥の最高裁裁判官候補適任者なしとの決議に違和感を感じて立候補、任命された場合のことを考えると大きな事件は断ることとなり収入も減っていった。
 2012年1月20日の閣議で任命が決まり、同年3月1日の認証式前の40日間に事務所の閉鎖手続を全て終えている(これは実にたいへんなことである)。
 最高裁裁判官の認証式に出るには、本物の真珠のネクタイピンが必要。事務員に対する給与・退職金支払い、受取済みの着手金の一部・全部返還、事務所の退去に伴う原状回復工事代など、お金がなくて最高裁の秘書課長に支度金をお願いし、断られた。
 定年後は、再び弁護士として活動中である。

* * *

 5歳の子どもが公園の隣の家の庭にボールが入り塀を乗り越えようとした際、つながれていない秋田犬にかみ殺された事件。そこでは飼主の責任が問題になりますが、山浦さんは犬に関する本を読み漁り、上野動物園に行き動物学者から秋田犬のことを聞き、動物心理学者の自宅を訪ね、警察犬訓練所や盲導犬協会の訓練所に行き、さらに犬の事故を研究している法学部教授の自宅を訪問して調査報告書を作成し、裁判所に提出しています。
 そのような弁護活動の中でご両親の表情は変わったということです。「仮にこの事件を金額だけで解決したとしたら、わが子を失った悲しみ、そして発見と救出が遅れたという自責の念はいつまでも消えず、息子を亡くしたご両親は、心に傷痕を残したまま生きて行かねばなりません。でも、自分自身の努力と周囲の人々の心からの支援のおかげで、ここまで頑張ってこられたということが大切なのです。新しい人生が始まったのだと思います。」と山浦さんは書いています。
 また、私はこの本で初めて知ったのですが、「平成24年12月16日執行 最高裁判所裁判官国民審査公報」にある山浦さんの「裁判官としての心構え」には、次のようにあります(*3)。

 世の中には法律という戦う武器を持たない人々、法律を知らないために紛争に巻き込まれたり、不幸な立場に追いやられたりしている人々が大勢います。私は、法という武器を使って、依頼者の悩み事や不安を解消し、平和な日常生活を取り戻すため、依頼者と一緒になって頑張ることが法律家としての大切な使命だと考えています。東京の片隅に開設した法律事務所は弁護士一人の小さなもので、著名事件や大型事件を担当したことはありませんが、約三〇年、マチ弁としての誇りをもってコツコツと裁判実務に当たってきました。その中で、市民は本当に法律によって守られているのか、裁判を受ける権利は実質的に保障されているのかという疑問を感じていました。とくに情報が偏在している事件においては、適正で迅速な情報開示が行われて初めて真実が明らかとなり、法による正義が実現されます。そうでなければ、市民に対して「武器を持たずに戦え」というようなものです。被告人や被疑者と、警察や検察官とを比較すれば、刑事事件における武器対等の原則は、さらに重要なことが分かります。裁判官は、法による正義を実現するため、裁判記録の中から戦う武器を持たない市民の悲嗚を聞き出すことに全力投球することが大切だと考えています。 

 本には、再婚禁止事件や夫婦同氏強制違憲事件での山浦さんの考えも書かれています。山浦さんは、「私は形式的な観念論の世界で生きるのではなく、マチ弁時代から常に目の前の依頼者が実感として幸福になれるように努力してきた。そして、昨日より明日、過去より未来、少しでも穏やかな気持ちになれるように努めることが法律の役割だと信じてきた。(中略)だから目の前の不都合を法の論理で片づけるようなことはできない。」と言います。
 山浦さんがそれでも最高裁判所で敵をつくらなかったことは、アメリカ最高裁判所で、「男の論理」が支配する中で奮闘したギンズバーグ判事のことを思い出させました。

* * *

 「お気の毒な弁護士」という本の題名には正直違和感があったのですが、司法試験に合格し、高校時代の勉強場所でお世話になっていたお寺の和尚さんの言葉だということです。
 司法試験に合格し報告に行ったら、和尚さんは、なにも言わず、ゆっくりお茶を出しながら、ひとこと「それは・・・お気の毒に」と言われます。そして「お気の毒に」の意味を山浦さんはその後の人生を生きる中、何年もかけて解明していくことになったのです。
 和尚さんは、弁護士は戦士で人間味溢れたものとは違うところで闘わざるをえないものと考えていたのかなと私は思いましたが、山浦さんはそうではなく、もっと深い意味を見いだしたようでした。
 山浦さんの自分の知らないところ、不得意なところに敢えて進んで身を置き、そこで一所懸命に努力する中で周囲を味方にしていく姿を知り、(自分自身のことを棚にあげてのことですが)さわやかな気持ちになり、そして同期にそんな人がいてよかったと心から思うのでした(理屈にあわないことかもしれませんが)。

*1 正確には、「お気の毒な弁護士-最高裁判所でも貫いたマチ弁のスキルとマインド」山浦善樹/著・イラスト、山田隆司・喜多山宗/聞き手・編(弘文堂、初版2020/12/15) 日本学術振興会科学研究費助成事業「最高裁裁判官の選任と判例形成との関係-オーラル・ヒストリーの手法を通じて」という研究のもと、山田隆司教授と喜多山宗教授(弁護士)からのヒアリングが行われ、山浦さんが事実関係の確認をし、何回も書き直し、最高裁総務局秘書課長のチェック作業も含めて様々な人々の協力のもとでできあがった労作のようです。
 弘文堂編集部の方が、山浦さんの伊藤塾での司法試験受験生相手の講演をたまたま聞いていたことから出版に至ったとありました。
*2 出版の目的は、これから法曹になろうとしている人たち、司法修習生、実務についている若手の弁護士や裁判官に対するメッセージ。そして紛争に巻き込まれて不安を抱え、裁判や弁護士などのことで困ったり悩んだりしている人にも参考になると思うということでした(「はじめに」)。たしかに法律にかかわる部分がかなりあるのですが、法律に関係のない人もそこを読み飛ばせば、図書館から借りて読んで決して損はないように思います(価格は新品が3850円)。
*3 https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/93350.pdf