「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」光州事件40年/野村和造(事務所だより2020年8月発行第61号掲載)

 カンヌ国際映画祭でパルムドールを授賞した「パラサイト 半地下の家族」で主演したソン・ガンホ、その彼が主演の「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」をNHK BSプレミアムでやっているのを知り録画で見ました。

 1980年の光州事件を取材しようとするドイツの記者ピーター(ユルゲン・ヒンツペーターがモデル)を乗せたタクシー運転手マンソプは、光州で、軍による市民への弾圧を間近で見ることになります。一人で留守番させている11歳の娘が気になりいったんはソウルに戻ろうとするのですが、光州に引き返し仕事を全うします。市民の助けと彼の運転により撮影された映像は世界に広がることになりました。
 ヒンツペーター氏は1980年当時、ドイツ第1公共放送の日本特派員だったのですが、危険を冒し光州に潜入して軍事虐殺を撮影し、その録画はドイツからさらに世界中で放送されました(ドキュメンタリーとして「5.18ヒンツペーター・ストーリー」)。

 今年5月18日、光州民主化運動第40周年記念式典が開かれましたが、私は2001年5月19日、光州を訪れたことがあります。厚木基地の爆音防止運動をしている人たちと韓国で基地問題に取り組む人たちの交流で韓国に行ったのですが、様々な集会の中で光州でのものが組み込まれていたのでした。光州記念日の前後(光州週間というのか)、多くの団体により集会が持たれており、私たちは5月19日の深夜までの集会に引き続き、5月20日には、1997年に完成した国立5.18民主墓地での慰霊集会に参加し、元司法長官のラムゼー・クラーク氏の演説を聞きました。光州はごく普通の地方都市に見え、その風景とそこで起こった虐殺がなかなか結びつきませんでした。
 今回映画を観て、それまでに読んだり聞いたりした光州でのコミューンのような市民の人々の運動と映画の中の市民たちとが重なりました。たしかに歴史的な民主化運動なのでしょうが、学生のデモに対する過剰な力の行使への市民の人たちの素朴な反応が軍隊と対峙するということになっていったように感じます。
 金大中拉致事件と救出運動、朴正熙大統領の暗殺とその後の「ソウルの春」、光州事件後の金大中死刑判決(日弁連も会長声明を出しています)と様々な展開についてはかなり記憶が曖昧になっているのですが、韓国の民主主義は、その苦難の歴史を経てのものだろうと思います。

 ヒンツペーター氏を乗せたタクシー運転手は、キム・サボク(金砂福Kim Sa-bok)氏だとされています。
 彼は、映画のようにお金が動機で光州に行ったのではなく、1975年に起きた張俊河の登山中墜落事件の際もヒンツペーター氏と一緒に現場に行っており、同志的な関係だったようです。娘のために引き返そうとしたというのもフィクションです。
 キム・サボク氏の長男キム・スンピル氏は、父の死と光州事件の関係について話しています。肝硬変で一度は酒をやめていた父は、1980年に光州に行った後「同じ民族どうしが、どうしてこうも残忍になれるのか」と言いながら痛飲することがあり、結局1984年に肝臓癌で亡くなったというのです。

 知られていないたくさんの人たちが、ひどい状況の中、様々な努力をして、民主主義が作られ、また維持され発展してきたことを思います。