月別アーカイブ: 2015年1月

「賠償責任保険の死角」その後/大塚達生(事務所だより2008年1月発行第36号掲載)

news0801_small 2006年1月の事務所だよりで、「賠償責任保険の死角」というタイトルの報告をしました。
 そのときに、まとめとして次のようなことを書きました。

 「もしも、医療機関の民事再生手続において、医療過誤による患者側の損害賠償請求債権について、一般の再生債権と同様の免除をすることが再生計画で認可されてしまうと、現行の医師賠償責任保険の保険契約約款の下では、免除後の残額に相当する額しか保険金が支払われず、患者側はせっかく訴訟で勝訴判決を獲得していても、判決認容額どおりの賠償を受けることができなくなる可能性が高い。
 医師賠償責任保険による保険金支払額が、医療機関の倒産手続の影響を受けないということが保険契約約款に定められていれば、そのようなことにはならないのであるが、現行ではそうなっていない。
 医療機関も倒産する時代であるから、このような保険契約約款の改正は急務であるが、現状では、医療機関の民事再生手続において、医療過誤の被害を受けた患者側が、損害賠償請求債権について、一般の再生債権と同様の免除をされないように、再生手続申立代理人と裁判所に求めていく必要がある。」

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賠償責任保険の死角/大塚達生(事務所だより2006年1月発行第32号掲載)

news0601_small 1991年に提訴し、他の事務所の弁護士と共同で患者側の代理人を務めてきた医療過誤訴訟が、2005年にようやく最終的に解決した。2つの病院を被告として提訴し、第1の病院に対する損害賠償請求は認められなかったものの、第2の病院に対する損害賠償請求を認容した判決が確定した。

  訴訟は、地裁、高裁、最高裁と進んで、最高裁から高裁に差し戻され、高裁での判決後に、上告提起・上告受理申立がなされて、最高裁が上告棄却・上告受理申立不受理の決定をし、ようやく判決確定に至った。解決までに極めて長期間を要し、医療過誤訴訟が抱える問題点をいくつも感じた事件であったが、訴訟の終盤において病院が倒産して民事再生手続が開始され、医師賠償責任保険の問題点にも直面した。

 2度目の高裁判決で第2病院に対する損害賠償請求が認容されたのであるが、この病院が民事再生手続開始決定を受けたため、病院と医師賠償責任保険契約を締結している保険会社が判決認容額どおりには保険金を支払わないとの態度を表明したのである。

 再生手続開始決定のことを聞かされたとき、私たちとしては、病院が倒産して支払能力がなくなったとしても、医師賠償責任保険があるのだから判決どおりの賠償額の全額が保険によって支払われるべきであると、素朴に考えた。

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ロンドンからドイツへ/田中誠(事務所だより2005年8月発行第31号掲載)

news0508_small 鵜飼弁護士の文章の最後に出てくるT弁護士とは私のことですが、その後労働弁護団の一行はベルリンに向い、5月11日から14日までドイツ調査を行いました。
 1997年にも、日本労働弁護団では鵜飼弁護士の紹介するイギリス調査以外に、ドイツ・フランス・イタリアに別れて労使紛争解決システムの調査を行いました。私は、その際、ドイツ班で勉強しましたが、それ以来の再訪になりました。
 現在、わが国では、解雇・配転といった労働契約の諸問題を規律する労働契約法制立法の動きがありますが、厚生労働省からは「今後の労働契約法制のあり方に関する研究会中間取りまとめ」というのが出ており、そこで、厚労省サイドが目玉とするのが、解雇が無効であっても判決によって雇用関係を解消できる「金銭支払による雇用関係の終了制度」と、労働条件を労働協約や就業規則で変更できない場合に解雇とセットで労働条件を変更(不利益変更)する「雇用継続型契約変更制度」です。
 上記「取りまとめ」は、賛否両論併記のような形になってはいますが、厚労省サイドがこれを導入したいと考えていることは明らかで、労働法学者の一部にも導入を強く主張する人がいるとのことです。 続きを読む

ロンドン再訪記/鵜飼良昭(事務所だより2005年8月発行第31号掲載)

news0508_small    連休明けの5月7日から10日まで、日本労働弁護団の英国調査に参加した。目的は、ET(雇用審判所)におけるレイメンバーの研修や労働時間法制(特にオプトアウト)を調べることである。私にとっては8年ぶりのロンドンであったが、前回97年4月の英国調査は、色々な意味でエポックなものであった。
 93年2月に始めた労働弁護団のホットライン活動を通じて、多くの労働者が無法なリストラの中で翻弄されている現実を知った。そして、泣き寝入りを強いられている一人ひとりの労働者の立ち上がりをサポートし、その権利を実現するための新たなルールやシステムの必要性を痛感した。労働弁護団が94年4月に公表した労働契約法制立法提言(第1次)は、その取り組みの第一弾である。提言をまとめるために、西谷先生にお願いして独の労働契約草案を送っていただいたり、葉山の合宿で熱心に議論したことが昨日のように思い起こされる。これは、個々の労働争議を勝利することが全てであった私にとって、新しい体験でありテーマとなった。 続きを読む

アスベスト/野村和造(事務所だより2005年1月発行第30号掲載)

news0501_small2004年世界アスベスト東京会議

  世界会議が開かれるということで、造船のアスベストじん肺訴訟についての報告の割り当てが私に回ってきた。仕事に追いまくられている中でのこと、発表はパワーポイント(発表用のスライドを表示するコンピュータ・ソフト)を使うようにとか、経験皆無の私には正直、気が重かった。
 しかし、11月20日早稲田の国際会場に着くと、アスベストのことでよってたかって世界中から集まっているという雰囲気。会議を組織するため費やされた膨大なエネルギーを体で感じた。見慣れた顔をたくさんみつける。この会議は、この人たちが20年以上、ねばり強くアスベストの危険性を訴え続けて蓄積された力の成果なのだ。
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