災害の記憶 -ある公務災害事件- /大塚達生(事務所だより2014年1月発行第48号掲載)

news201401_small 平成16年10月23日、新潟県中越地方を震度7の地震が襲い、深刻な被害が発生しました。
 神奈川県内のA町では、町長の発案で職員を被災地に派遣することになり、当時55歳だった部長職のBさんは、町長及び3名の幹部職員とともに、3日間、被災地に派遣されました。

 町長が幹部職員4名を率いて被災地入りしたことからも分かるように、この派遣には、被災地に応援の人手を出すという意味だけにとどまらず、町長と幹部職員が実際に被災地に入って被災状況を実体験することにより、A町の防災体制を考えることに役立てるという意味がありました。

 Bさんら一行は、10月29日の朝、A町役場を出発し、自分たちで自動車(ワゴン車)を運転して新潟県小千谷市に赴きました。そして、市内を移動して生々しい被災状況を視察したり、支援物資の移動作業等に従事しました。空いた時間があれば震災現場を調査し、震災被害の実態を把握することに努め、A町の防災対策に置き換えた意見交換を行いました。
 夜間は、現地のボランティアセンターから紹介された建物に宿泊することを断念し、屋外の駐車場にテントを張って、テントと自動車に分かれて野営しました。紹介された建物の部屋の天井の一部が破損していたことに加えて、被災地入りした日に突き上げるような余震を体験し、さらなる余震の危険を意識したからでした。
 駐車場では、夜間も自動車の出入りが頻繁で、自動車のドアの開閉音も頻繁に聞こえ、そこでの寝袋に入っての睡眠は、普段の睡眠に比べて質的低下を伴うものでした。

 Bさんらは、帰路も自分たちで自動車を運転して、10月31日の夜遅くにA町役場に戻ってきました。
 この翌日である11月1日の朝、Bさんは町長室でクモ膜下出血により倒れました。
 Bさんは手術により一命を取り留めましたが、重い後遺障害が遺りました。


 地方公共団体の職員が公務上の災害(負傷、疾病、障害又は死亡)を被った場合、地方公務員災害補償制度に基づき、地方公務員災害補償基金から補償を受けることができます。
 これは、企業の労働者のための労災保険制度(労働者災害補償保険)と同様の制度です。

 この地方公務員災害補償制度では、公務上の災害に該当するのかどうかの認定を基金の支部長(都道府県知事又は指定都市市長)が行います。
 この段階で公務上の災害であると認定されれば、速やかに補償を受けることができますが、公務外であると認定されると補償を受けられず、その結論を変えるためには、基金の審査会に審査請求をしなければなりません(最初は支部審査会に。そこで結論が変わらない場合は本部審査会に。)。
 それでも公務外であるとの認定が変わらない場合は、さらに基金を被告とした訴訟を裁判所に提起するしか方法がありません。

 二段階の不服申立制度があり、その後には訴訟提起の道もあるとはいっても、本来公務上の災害と認定されるべき事案において、基金の審査会で公務上との判断がなされず、訴訟をしてからでないと公務上の災害であることが認められないというのでは、必要な補償を受けるのが何年も後になってしまい、補償制度本来の趣旨が失われます。


 Bさんのケースの場合は、被災地派遣業務が、(1)長い移動距離・時間、(2)3日間連続の長時間拘束、(3)通常の職務環境からの著しい変化、(4)普段行っていない肉体労働、(5)宿泊環境・睡眠環境の不良、(6)55歳という年齢、(7)週休日2日間の返上といった面で、Bさんにとって過重な職務だったといえ、常識的にみてクモ膜下出血は公務に起因していると考えられました。

 そのため、平成17年7月、Bさんは、基金神奈川県支部長に対し、公務災害認定請求を行いました。

 それに対するA町の意見も、「震災間もない土地への派遣は目に見えない心労が伴い、精神的に負荷のかかる公務であったといえる。危機交々とした環境の中で疲労が蓄積し、回復もし難く、発症に至らしめる高血圧等の著しい亢進は避けられなかった。その後の血圧等の安定までの時間は過少であり、翌日の勤務日に症状が顕在化した原因に3日間の活動がなり得るものと判断する。」というものでした。

 ところが基金の支部長は、平成19年3月、公務外であるとの認定を行い、支部審査会も本部審査会も結論を変えませんでした。本部審査会の裁決書が届いたのは平成22年7月のことであり、基金の支部長に公務災害認定請求を行ってから5年も経過していました。

 倒れたのは個人的な原因によるものであって公務が原因ではないと3回も宣告され、そのために5年もの期間を要したことは、Bさんと家族にとって辛いことでした。

 やむなくBさんは、平成22年12月、基金を被告として、裁判所に公務外認定処分取消請求訴訟を提起しました。

 この訴訟において、基金は、被災地での業務が特に過重とはいえないと主張し、Bさんのクモ膜下出血は公務に起因するものではないと主張しました。

 しかし、第一審の裁判所は、過重な公務によってクモ膜下出血が発症したとして、基金の支部長による公務外との認定処分を取り消しました。基金は控訴しましたが、第二審の裁判所はこの控訴を棄却し、平成25年11月、Bさん勝訴の第一審判決が確定しました。

 第二審の判決では、次のように常識的な判断がなされました。

「被災地派遣は……(中略)……連続3日間実施され、拘束時間は62時間を超えていたのであるから、これにより受けた精神的、身体的負荷が解消ないし軽減されるか否かは、その間に取ることのできた睡眠の量と質に大きく影響されると考えられる。しかるところ、本来の宿泊場所である福祉会館に宿泊することができず、駐車場にテントを張って野営したりワゴン車に宿泊するのは被控訴人にとって非日常的な出来事であり、かつ、いつ余震が発生するかわからない不安を抱えながらの就寝であることに照らせば、その睡眠の質は著しく劣悪であったとみるべきである。そして、このような状況にあったのは、ひとえに被控訴人が従事していた被災地派遣という公務の性質による環境的要因に基づくものであり、十分な睡眠を取ることができなかった理由を被控訴人の個体的要因だけに帰する控訴人の主張は採用できない。」

 基金が裁判所のような常識的判断をしなかったため、Bさんのケースが公務に起因すると認められるまでに、実に長い期間を要してしまいました。
 裁判所と違って、基金やその審査会の人々は、災害の記憶を呼び覚ます意欲に欠け、被災地派遣のリアルな状況に思いを致すことができなかったのではないかと思います。
 災害の度に被災地には多くの地方公務員が派遣されていますが、基金がこんな状態では、果たして彼らが安心して職務に専念できるのか、危惧を感じます。