技能実習生過労死事件
弁護士 嶋﨑 量
1 事案の概要
本件は、外国人研修生として来日し、死亡当時技能実習生であった中国人男性の過労死事件であり、外国人研修・技能実習生の過労死による初めての労災認定事件として、大きくテレビ・新聞などメディアでも報じられた。
その後、2012年11月19日、中国人男性の遺族らが原告となり、直接の雇用主(被告会社)及び第一次受け入れ機関である協同組合(被告協同組合)が被告となった損害賠償請求訴訟(水戸地方裁判所)において、和解が成立して最終的に解決した。被災者である中国人男性が死亡したのは2008年6月6日であったので、和解成立による最終的な解決まで、4年5ヶ月の時が経過したことになる。
2 事件の端緒
被災者は、1976年に中国江蘇省で生まれ、2005年12月に外国人研修生として、妻と当時5歳の娘を残して来日し、茨城県内の被告会社でメッキ加工などの作業で働いていた。死亡したとき、31歳の若さだった。
被災者が亡くなった後、その後に結成することになる弁護団のもとに、被災者の親戚から連絡が入った。遺族らが被告会社から「会社には責任がない。」という説明を受けたが、生前の被災者との会話などから、被災者の死亡原因が長時間労働にあるのではないかと疑問をもっており、「彼の死亡の原因が知りたい。被告会社の説明には納得ができない。」とのことであった。
3 証拠保全など証拠収集と労災認定から民事提訴へ
当初、被災者のご遺体は解剖される予定もなかった。しかし、遺族から連絡を受けた弁護団が直ちに茨城の現地に赴き、地元の警察に対して行政解剖を求めたところ、解剖が実施されることになった。そこから、死因が虚血性心疾患であろうことが判明した。解剖が実施されなければ、今回の裁判上の和解はもちろん、労災認定がされることもなかったであろう。
その後、徐々に被災者の労働実態も明らかになった。まず、被災者と同じく被告協同組合を第一次受入機関として働いていた2人の技能実習生から、被災者の長時間労働に関する情報を聴取することができた。それによって、被告協同組合が実労働時間を反映した正しいタイムカードとは別に、労基署対策として偽のタイムカード作成(残業時間は月30時間以内)を、被告会社を含む各第二次受入機関に指導しているという情報も入手した。
この聴取により、被災者が1年目の研修生の期間から月に100時間程度の残業をしており、2年目以降の技能実習生の期間には月に150時間程度の残業を続け、休みは月2日程度しかなかったという長時間労働の実態が明らかになった。また、被告会社を含む第二次受入機関は、被災者など外国人研修・技能実習生に対して、残業が20時間を超えた場合については、最低賃金(当時676円)を大きく下回る時給400円の残業代しか支払っていなかったことも明らかとなった。
その後、中国にいる遺族から、弁護団に対して、被告会社から返還された被災者の遺品の中から、正しいタイムカードのコピー(時間外労働・月180時間、休日・月2日間)が見つかったという連絡があった。たった1枚のタイムカードだが、これが被災者が長時間労働を行っていたことを裏付ける重要な証拠となった。
弁護団は、被告会社に対して証拠保全手続を行ったが、この手続では、正しいタイムカード(原本)は発見できなかった。証拠保全で入手できたのは、正しいタイムカードよりも150時間以上少ない時間外労働30時間のみという偽のタイムカードだけだった。とはいえ、これにより、被告会社が2通りのタイムカードを作り、長時間残業の隠蔽工作を行っていたことが明らかになった。
これらの情報をもとに、2009年8月、弁護団が鹿嶋労働基準監督署に労災申請を行ない、2010年11月に労災と認定された。これが、外国人研修・技能実習生の過労死についての、全国初の労災認定であった。
その後、2010年12月には、労基法違反を理由として、被告会社及び同社社長に対し、各罰金50万円の略式命令が出された。労基法違反の事案について立件されて刑事罰が科されるのは極めて珍しいことであるが、本件は内容が悪質であったため、そのような結果になったものと思われる。
このように労災認定と刑事処分を経た後、2011年3月5日、遺族らが原告となり、弁護団がその代理人となって、被告会社と被告協同組合に対し損害賠償の支払いを求める訴訟を、水戸地方裁判所に提起した。
損害賠償請求の根拠となる法律構成は、被告会社と被告協同組合が共同して被災者の過重労働を生じさせ、それによって被災者死亡という結果が発生し、共同行為と結果との間に相当因果関係が認められるのだから、両被告は共同不法行為に基づき連帯して損害賠償責任を負う(民法719条1項)というものであった。
4 訴訟の進行と争点
(1)刑事訴訟記録などの入手
弁護団は、行政機関個人情報保護法による開示の手続を使って、労災認定を行った鹿島労基署から労災手続記録を入手した。また、刑事確定訴訟記録法による閲覧・謄写の手続を使い、被告会社及び同社の社長を起訴した麻生区検察庁から確定刑事訴訟記録を入手した。それらの結果、被災者が、労災認定において、死亡前1ヶ月に最大で約128時間(最小でも約117時間)の時間外労働を行ったとされていることが明らかになった。
また、被告会社の社長自身が、「偽のタイムカード」を作成したことを認め、裁判官や弁護団が立会して行われた証拠保全の際に本物は提出せず隠蔽し数日後に廃棄したと認めていたことも、捜査機関に対する供述調書から明らかになった。
本件では、これらの記録から、いわゆる過労死ラインを優に超える長時間労働の実態が明らかであり、使用者である被告会社に安全配慮義務違反が認められることを前提として、訴訟手続が進行した。
(2)被告協同組合の法的責任
本件の争点の1つは、被告協同組合に、被告会社に対して長時間労働を指示したり許容したという教唆・幇助行為、又は、被告会社の研修実施状況について監理する義務違反によって、法的責任が認められるか否かであった。
判決に至らなかったため、この点について、裁判所の最終的な判断は示されなかったが、和解手続の中では、後述するとおり、被告協同組合の社会的・道義的責任を前提に、被告会社と対等な割合ではないものの、被告協同組合にも一定額の金銭支払いを行わせる方向で協議が進められた。
(3)損害額など
最も弁護団を悩ませたのは、損害額の問題であった。
被災者のような技能実習生は、制度上来日から3年間で本国への帰国が予定されている。そのため、死亡逸失利益(死亡後に本来得られるべきであった賃金などの利益)や慰謝料の金額を、本国での所得水準を基準として算定するべきとの考え方が有力であった。この考え方によれば、被災者に対する損害額は、日本人労働者の過労死事案と比較して、相当な減額となる。
弁護団としては、少なくとも慰謝料については日本人労働者と差異をもうけるべきではないことや、逸失利益についても中国の経済成長率の予測などを加味すれば現在の貨幣価値のみを基準として画一的に判断するべきではないといった点を主張した。
5 和解の概要
和解手続では、裁判所から弁護団に対し、本件で被告協同組合の果たした役割からすれば、被告協同組合は少なくとも社会的・道義的責任を免れないとの見解が示され、被告協同組合にも和解金を支払わせる案が示された。
弁護団としては、逸失利益に対する裁判所の理解について不満もあったが、被告協同組合の責任を前提とする和解を望むという遺族の意向に合致しており、他の外国人・技能実習生の労災事件との均衡から受け入れられる解決水準であったことから、和解に応じることになった。
また、金銭支払い以外にも、被告らが被災者の死亡に遺憾の意を表明する、本件のような外国人研修生・技能実習生の死亡事故が起こらないように細心の注意を払い再発防止に努めるとの条項が盛り込まれ、ようやく和解成立となった。
なお、和解金額についてのみ報道機関への公表を禁じる守秘義務条項があるため具体的な金額は公表できないが、弁護団としては、日本人労働者の労災事故において支払われる慰謝料額と比べて、遜色の無い金額であると理解してる。
6 さいごに
来日した被災者の妹は、「無邪気な表情で義理の姉に『お父さんはいつ帰ってくるの』と聞く姪を見ると、悲しくてたまりません。」「私たち遺族は、兄の死によって、日本にいる研修生あるいはこれから日本に行く研修生の一人でも救えることができたら、兄の死は無意味ではないと信じたいです。」「日本政府による研修生制度の抜本的な見直し、研修生の労働環境の改善、研修生の人権の尊重は、私たち遺族の切なる願いです。」と話していた。
妻と幼い子を残したまま31歳の若さで異国の地で亡くなった被災者に対し、改めて哀悼の意を表したい。
本件のように、死に至るほどの長時間労働に被災者を追い込む一方、最低賃金の半分以下の人件費で利益を上げているのは、いうまでもなく被告会社のような企業である。
このような外国人・技能実習生制度を悪用した悪質な企業があると、地域の同業他社との間で、公正な競争など成り立たなくなる。不公正な価格競争を強いられる同業他社、ひいてはその同業他社で就労する労働者へと、その害悪は広がることになる。したがって、この外国人・技能実習生制度の問題には、労働界はもちろん、経済界も含む我が国の社会全体で、取り組まなければならない。
注1:本件は、被災者死亡直後の2008年6月17日に遺族から連絡を受けて以降、指宿昭一弁護士、髙井信也弁護士らと筆者が弁護団を組み取り組んた事件です。
注2:この文章は、筆者が「賃金と社会保障NO.1759号」に執筆した原稿(「技能実習生過労死事件について」)をに加筆訂正したものです。