労災事件の重さ~2件の取消訴訟/山岡遥平(事務所だより2025年8月発行第71号掲載)

 今年の3月と5月にそれぞれ、労災ないし公務災害の不支給決定を取消す判決を得ることができました。そこで改めて感じたのは、労災事件の重さでした。

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 1件目は、2018年1月の大雪の対応をしていた配車係の方が、夜通しの対応を行った翌日に自ら命を絶った事件です(弊所の嶋﨑量弁護士と担当)。事件から実に7年経って労災認定を得ることができましたが、その焦点は①労働時間のほか、②大雪対応の心理的負荷の強度でした。
 ①については割愛しますが、訴訟でも、そして、判決でも重視され、心理的負荷が強いとされたのは②でした。
 いわゆる「かんばん方式」の会社を主な取引先にしており、夜中でもどこにトラックがいるのかを1時間に1回顧客に連絡しなければならないにも関わらず、電話がひっきりなしに鳴り、トラックの位置を十分把握することができなかったのです。電話口では、いらだったお客さんやドライバーもいたのです。
 トラックの位置の把握が不十分で、上司からも注意を受けていた中、翌日、同僚にトラックの位置をきちんと把握していないと、配車係として責任を取らされる旨、注意を受けました。
 被災者の方は、配車係1年目だったのですが、労災の段階から、配車の経験が20年ある複数の上司も、これまででも「三本の指に入る」大変さである、「あの時は私もきつかった」などとそれぞれ述べていたにもかかわらず、労災段階では心理的負荷が「強」とはされませんでした。
 結局、訴訟では、上記の経緯や、上司の発言から、配車係1年目の被災者が受けた心理的負荷は「強」であった旨認められたのです。上司・同僚を尋問して、裁判官が当日の様子をリアルに感じることができたのが大きかったと考えています。
 この事件では、ご遺族の生活のためにも、何としても勝たなければならない、という思いでしたので、勝った時は心底安心し、やはり労災事件が負っているものは大きいのだな、と実感しました。

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 もう1件は、1973年~8年間、技術専門学校で電気工事を教えていた教員がアスベスト粉塵にばく露され、中皮腫に罹患し、1987年に死亡した事件です(弊所の福田護弁護士と共同で担当)。
 この事件は、ご遺族が、家事などに追われ、長らく公務災害申請できていませんでしたが、患者と家族の会などの助けを得て公務災害申請をしたものの、認められなかったものです。
 この事件では、一般的なアスベストの事件と同じか、それ以上にばく露実態を立証することが困難でした。
 しかし、訴訟では、学校の改装工事の現場写真を専門家の力で分析し、学校校舎にも青石綿の吹付があることを立証しました。また、ここが勝訴のポイントとなったのですが、校外実習で1年に1か月程度、建設工事の現場に赴いており、校外実習で行った現場が一部特定できたため、行政文書開示で当該現場(学校や公立病院などの建設でした)の図面を取り寄せ、分析することでボードや吹付材など、石綿含有建材が使用されていることを立証するとともに、当方と基金側がそれぞれ同僚を証人として呼び、尋問を行い、ボードの切断、あるいは同じ現場で吹付が行われている場合もありうることを尋問で明らかにしました。
 ところが、地裁判決は、ボード切断等がなされていても、その石綿含有量、ボード切断と被災者の距離、粉じん量等が明らかではない、として、石綿粉じんばく露を否定したのです。
 判決を読んでも、混在作業があれば一般的に石綿ばく露は十分肯定しえ、胸膜中皮腫はそのほとんどが環境ばく露を超える石綿ばく露によるものであることから、理由では勝っているのに、結論はなぜか負けている、という理解に苦しむものでした。
 控訴し、更なる専門家による立証を試みたところ、1回結審、かつ、立証を更にしようとしても時機後れである、と裁判所から一刀両断にされ、私も福田弁護士も意気消沈しました。このような対応だと、ほぼ間違いなく原審維持、つまり負けだからです。
 ところが、判決では逆転しており、胸膜中皮腫の上記性質なども踏まえ、混在作業から石綿ばく露を認め、公務災害認定をしました。
 2015年公務災害申請から実に10年が経過して、ようやく公務災害認定を得たことになります。
 この事件では、当事者の方が、公務災害の手続は「夫からの宿題」と感じていた、とお話しされていました。非常に長い間、「宿題」を抱えて生活するのは大変なことだったと思います。また、これまで、公務災害申請ができないくらいに忙殺されていたため、この認定でようやくこれまでの補償の一部が得られるのだと思うと、これも安堵できました。

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 これらの事件は、被害の発生から実に長い時間がかかってようやく労災の認定を得られました。たたかっている間、そして請求できない間も、当然、被災者・ご遺族の生活があります。その生活の中でなんとか手続をやっていて、そこに望みをかけていることもあるのだ、という当たり前の事実が、年月の重さで目の前にありありと顕れ、弁護士としての初心に帰ることができました。
 今後も、良い結果を、できれば短い時間で実現できるよう、研鑽を積んでいきたいと改めて感じました。