第5次厚木基地騒音訴訟において、原告らは、防衛大臣が自衛隊機を運航させ続ける決断(行政処分)をしていることについて、裁判所が、その判断過程に合理性があるか否かを仔細に検討するべきだとの主張を展開しています。第5次訴訟でこのような主張を展開することとなったのは、第4次訴訟の最高裁判決における、あまりにも杜撰で、実質的には司法審査の放棄とも言い得るような判断を受けてのことです。
2016年12月の第4次最高裁判決は、①自衛隊機を運航させる公共性と公益性、②基地周辺住民の軽視できない被害、③防音工事や自主規制等の騒音への対策措置の3点を「総合考慮」した結果、自衛隊機を運航させ続けるという判断も社会通念上著しく妥当性を欠くとは言えず、裁量権の逸脱又は濫用はないと判示しました。
しかし、第4次最高裁判決は、単に「総合考慮」と言うだけで、判決文のどこを読んでも、上記①~③の要素を具体的にどのように評価して結論に至ったのか、さっぱり分からないのです。特に、上記③の対策措置については、それを実施しても上記①の軽視できない被害が発生していると第4次最高裁判決自らが言っているのですから、それを被告国にとって有利な事情として考慮しているかのように見受けられる第4次最高裁判決の判示は、原告らにとって到底受け入れられるものではありません。
他方で、夜間飛行の差止めを認めた第4次の東京高裁判決は、防衛大臣が自衛隊機を運航させ続ける判断をしていることについて、その判断過程の合理性を審査しました。第4次高裁判決は、自衛隊機を運航させることにより達成しようとする行政目的と対比して、夜間における基地周辺住民の被害は不相応に過大であるとの理由で、防衛大臣に裁量権の逸脱又は濫用があると判断したのです。第4次高裁判決は、防衛大臣が、行政目的と基地周辺住民の被害を本来であればどのように衡量しなければならないかを具体的に示しており、一定の説得力を持っていたと言えます。
第4次最高裁は、先に述べたように具体的な理由を何ら示さないまま、判断過程審査を行った第4次高裁判決の結論をひっくり返してしまったのです。
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冒頭で述べた、行政庁の裁量処分について、裁判所がその判断過程の合理性を審査する司法審査の方法は、判断過程審査と呼ばれます。最高裁は、かつて、行政庁に裁量が認められる裁量処分については、社会通念上著しく妥当性を欠くか否かという観点から最小限の審査しかしない態度(最小限の社会観念審査)をとることがありました。しかし、その判断方法だけでは、行政に対する必要かつ適切な司法的抑制を及ぼすことができないとの問題意識が生まれました。他方、裁量処分について、裁判所が一から判断をやり直して、その結果と行政庁の出した結論を比較して裁判所の結論と違っていれば違法とするのでは、行政庁に裁量を認めたことにならないという問題もあります。そこで、学説や裁判例の積み重ねの中で生まれたのが、判断過程審査です。
判断過程審査は、行政の説明責任がその基礎にあります。説明責任を負っている行政は、裁判においても、まずは自らの判断の合理性について自ら説明するべきであり、裁判所はその行政の説明が納得できるものかという観点から審査し、原告は行政の説明に説得力がないことを主張し、判決は行政の説明に対する裁判所の評価を示す形となります。
判断過程審査は、行政裁量の存在を認めつつ、適正な司法的抑制を及ぼすことができる司法審査方法として、行政の政策的、専門技術的判断を要する行政処分においても有用であるとされ、これまで多くの最高裁判決においても、社会通念上著しく妥当性を欠くか否かの判断の中で取り入れられるようになっており、学説では、判断過程審査が一般化、原則化したと評価するものもあります。
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第4次最高裁が、判断過程審査をした第4次高裁判決をあえて覆し、上記のように一般化、原則化したとされる判断方法を回避したのはなぜなのか。原告らとすれば、防衛の問題には関与したくないという最高裁の消極的姿勢の表れと評価せざるを得ません。
厚木基地騒音訴訟に判断過程審査を適用すれば、第4次高裁判決のように一定の説得力のある判決を下すことは可能ですし、差止め認容の結論に至る可能性も大いに高まります。
第5次訴訟では、裁判所に判断過程審査を採用させるべく働きかけを行い、被告国に対しては、自らの判断に合理性があると考えるのであれば、その判断過程の合理性を積極的に説明するよう求めていきたいと考えております。