1991年に提訴し、他の事務所の弁護士と共同で患者側の代理人を務めてきた医療過誤訴訟が、2005年にようやく最終的に解決した。2つの病院を被告として提訴し、第1の病院に対する損害賠償請求は認められなかったものの、第2の病院に対する損害賠償請求を認容した判決が確定した。
訴訟は、地裁、高裁、最高裁と進んで、最高裁から高裁に差し戻され、高裁での判決後に、上告提起・上告受理申立がなされて、最高裁が上告棄却・上告受理申立不受理の決定をし、ようやく判決確定に至った。解決までに極めて長期間を要し、医療過誤訴訟が抱える問題点をいくつも感じた事件であったが、訴訟の終盤において病院が倒産して民事再生手続が開始され、医師賠償責任保険の問題点にも直面した。
2度目の高裁判決で第2病院に対する損害賠償請求が認容されたのであるが、この病院が民事再生手続開始決定を受けたため、病院と医師賠償責任保険契約を締結している保険会社が判決認容額どおりには保険金を支払わないとの態度を表明したのである。
再生手続開始決定のことを聞かされたとき、私たちとしては、病院が倒産して支払能力がなくなったとしても、医師賠償責任保険があるのだから判決どおりの賠償額の全額が保険によって支払われるべきであると、素朴に考えた。
ところが、保険会社の考えは違っていた。保険会社が判決認容額どおりには保険金を支払わないという考え方の根拠としてあげたのは、保険契約約款の条項に「被保険者が法律上の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補します」と書かれていることだった(医師賠償責任保険では医療機関が被保険者)。
通常、民事再生手続では、再生債権の支払いが大幅に免除された再生計画が認可されるため(第2病院の再生計画では一般の再生債権は80%免除とされた)、保険会社は、医療過誤による損害賠償請求債権についても一般の再生債権と同様の免除が行われるべきであり、免除後に残った部分に相当する保険金を支払えば「被保険者が法律上の賠償責任を負担することによって被る損害」をてん補したことになると言い出したのである。
私たちとしては、医療過誤による損害賠償請求債権についても一般の再生債権と同様の免除が行われるべきという考え方には納得できなかった。医療過誤による損害賠償請求債権に関しては医師賠償責任保険という支払原資が用意されているのであり、一般の再生債権同様の大幅免除をしなくても他の再生債権者の不利益にはならず、大幅免除する必要性がどこにもないからである。
幸いこの民事再生手続では、医療過誤による患者側の損害賠償請求債権について、一般の再生債権と同様の免除が行われずに済み、別個の取り扱いをすることを内容とした再生計画が立てられて認可された。そのため、保険会社も最後には判決認容額の全部(ただし遅延損害金は再生手続開始決定日の前日まで)に相当する保険金を病院に支払い、病院から患者側にその全額が支払われた。
この出来事を通じて分かったのは、次のような医師賠償責任保険の死角である。
もしも、医療機関の民事再生手続において、医療過誤による患者側の損害賠償請求債権について、一般の再生債権と同様の免除をすることが再生計画で認可されてしまうと(再生手続を行う裁判所に問題意識がない場合は、このようなことが起こりうる)、現行の医師賠償責任保険の保険契約約款の下では、免除後の残額に相当する額しか保険金が支払われず、患者側はせっかく訴訟で勝訴判決を獲得していても、判決認容額どおりの賠償を受けることができなくなる可能性が高い。
医師賠償責任保険による保険金支払額が、医療機関の倒産手続の影響を受けないということが保険契約約款に定められていれば、そのようなことにはならないのであるが、現行ではそうなっていない。
医療機関も倒産する時代であるから、このような保険契約約款の改正は急務であるが、現状では、医療機関の民事再生手続において、医療過誤の被害を受けた患者側が、損害賠償請求債権について、一般の再生債権と同様の免除をされないように、再生手続申立代理人と裁判所に求めていく必要がある。
(追補)
この後、保険の基本法である保険法が新しく制定され、2010年4月1日から施行されました。
この新しい保険法では、損害保険契約のうち責任保険契約について、被害者が保険金から優先的に被害の回復を受けることができるようにするための先取特権の規定が新設されました(法22条1項)。そして、この被害者の先取特権の実効性を確保するために、被保険者が保険者に対して保険給付請求権を行使することができる場合が制限されるとともに(法22条2項)、保険給付請求権の譲渡・質入れや差押が原則として禁止されました(法22条3項)。
なお、新しい保険法の施行日前に締結された保険契約でも、保険事故が施行日以後に発生した場合には、上で述べた法22条1項・2項・3項の規定が適用されます(附則3条3項・4項)。