1975-1990-2025/大塚達生(事務所だより2025年1月発行第70号掲載)

 神奈川総合法律事務所は、1975年4月に開設され、今年で50周年となります。現在、所属する弁護士は11名で、4月からは12名となる予定です。

 先日、裁判からの帰り道で同僚の石渡弁護士と雑談していた際に、「1975年にヒットした曲は何か知っている?」と問いかけたところ、「私はまだ生まれていませんでした」と言われてしまいました。調べてみると、11名の所属弁護士のうち、事務所開設の日より後に生まれた人は5人もおり、改めて50年という年月の長さを実感しました(ちなみに、私の記憶に強く残っている1975年のヒット曲は、「『いちご白書』をもう一度」です。)。

 事務所開設時のメンバーである鵜飼弁護士に聞いたところ、開設当初は仕事も少なく、弁護士同士が近くの空き地でキャッチボールをしていたそうです。ただ、その年の初夏に県内の労働団体の呼びかけで「事務所開設を祝う会」が行われていますので、のんびりしていられたのは最初のうちだけだったようです。2年後の1977年の旅行の写真を見ますと、当時20代だった野村弁護士が真っ赤なジーンズをはいており、時の流れを感じます。

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 私はというと、大学卒業後に都市銀行に入社したものの、そこでのノルマ至上主義に反発し、1984年に銀行を飛び出して司法試験受験生となり、事務所開設から15年後の1990年4月、弁護士になると同時に入所しました。
 当時は、いきすぎた投機により土地・建物・株式等の資産が高騰し、財テクや消費が加熱したバブル景気の真っ只中でしたが、その年の10月に株価が暴落し、その後地価も下落して、バブル景気は崩壊を始めました。それに伴い、それまで地価高騰を前提に野放図な融資を続けてきた金融機関は、大量の不良債権を抱えることとなり、危機的な状況となりました(その後、不良債権の処理に関するニュースを目にしない日はないという状況になりました。)。
 バブル景気の時期には人手不足が喧伝され、就職は売り手市場の状態が続いていましたが、バブル景気崩壊とそれに続く不況により、それまでの雇用を巡る状況は一変し、1992年頃から、新規採用中止、営業現場への配転、子会社出向、希望退職募集、選択定年制導入、セカンドキャリア支援プログラム実施など、企業の「雇用調整」について頻繁に報道されるようになりました。1993年1月になると、音響・映像機器製造会社パイオニアにおける「指名退職勧奨」が新聞報道され、大きな反響を呼びました。
 当時、鵜飼弁護士は、日本労働弁護団の本部幹事長をしていましたが、同弁護士の発案で、日本労働弁護団が緊急に「雇用調整」の標的となっている労働者のための相談窓口を設け、とりあえず首都圏規模で、「雇用調整ホットライン」という名称で電話相談を行なうことになりました。2月に実施すると、当初の予想をはるかに超え、開設した相談電話は鳴りっぱなしで、受話器を置くひまがなく、ゆっくり聴取用紙に記入する時間がない程の状況でした。これ以降、日本労働弁護団は電話による相談活動をホットライン活動と呼んで行うようになり、多数の労働者から個別労働紛争の相談が持ち込まれるようになりました。
 この頃の雇用の動向の変化については、菅野和夫先生・山川隆一先生の「労働法 第13版」(弘文堂)にも書かれています(1194頁「2.1990年代以降:個別労働紛争中心の時代」)。

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 私もこの頃からホットライン活動に参加し、個別労働紛争の解決に携わり、「労働相談実践マニュアル」の作成にも携わってきました。しかし、その過程でいろいろな労働組合関係者と知り合い、集団的労使関係、集団的労使紛争に関する相談や依頼を受けるようになると、徐々に仕事の比重がそちらに移っていきました(個人的には「個別労働紛争中心の時代」に逆行する動きをしてきたことになります。)。特に2006年から労働審判制度が始まり個別労働紛争が簡易迅速に解決されるようになると、私の関心は、労働組合(特に企業内多数派労働組合とその上部団体である産業別労働組合)と使用者の集団的労使関係による、集団的な労働条件の維持改善と、その前提となる組合の組織拡大・強化というテーマに向かいました。その結果、労働組合関係者とのご縁にも恵まれ、現在では、顧問契約を結んでくださっている労働組合とその組合員からの相談・依頼への対応が、私の仕事の多くの部分を占めるようになりました。
 これらの労働組合からの相談は、主に企業内多数派労働組合の組織運営及び労使関係に関する問題についてです。各組合からの相談事例、処理事例が集積されていくにつれ、これらは集団的労使関係の法分野にとって貴重な実践情報であると感じています。相談の際には、組合の状況・事情を把握しながら、単なる法的助言に留まらずに、労使関係を踏まえた現実的な解決を目指すための方策や、組合が気づいていない視点や問題点についても説明することを心がけるようにしています。また、日々の労働により世の中を支えている人々とその組織のために仕事をしているという意識を持つことができるので、それが仕事のモチベーションとなっています。
 私自身は、事務所入所から35周年を迎えますが、これからもこのモチベーションを大切にして、仕事に取り組んでいきたいと思います。