裁判官と「立法者意思」/田中誠(事務所だより2004年8月発行第29号掲載)

news0408_small 弁護団の一員として参加した「青山会不採用事件」が、今年(2004年)2月10日、最高裁でも勝利し終了した。
 青山会不採用事件とは、経営ができなくなった県内のある病院を「青山会」という法人が買い取るにあたり、従業員については、旧経営者がいったん全員解雇し青山会において新規採用するという形をとり、その際、労働組合の組合員を不採用としたという事件であるところ、不採用の理由は、労働組合の組合員であるという、ただそれだけの、明白な採用差別事件だった。
 神奈川県地労委、中労委で組合は連勝し、青山会に対して「組合員を採用せよ」という採用命令が出されたが、青山会は平成11年に東京地裁労働部に取消訴訟を提起した。この段階から私は弁護団に参加した。
 このニュースの読者の大半の方は、「労働組合の組合員であるという、ただそれだけを理由に、能力や人格に何の問題もないのに不採用とするなんておかしいに決まっている」と感じてくださるだろうし、それが健全な市民感覚だと思うが、裁判所というのは恐ろしいところで、そうとは考えてくれないのである。
 青山会事件を担当することとなった東京地裁民事第19部(労働部)の当時の部長であった高世三郎裁判官は、先立つ平成10年に、JR不採用事件において、企業には採用の自由があるから、組合差別の不当労働行為として禁止される「不利益取扱」(労組法7条1号本文)に採用差別は含まないとしており、しかもそれを「立法者意思」(立法を行った国会がそう考えた)だと断じていたのである。
 私たちは「この議論はおかしい」との直感から、昭和20年から昭和24年にかけての労働組合法立法過程を調べることとし、本当の立法者意思を探ろうとした。
 労働組合法立法作業は、昭和20年10月のマッカーサー最高司令官の幣原首相に対する5大改革指令で始まり、労務法制審議会での議論、帝国議会衆議院の労働組合法案委員会・本会議・貴族院を経て(当時はまだ大日本帝国憲法下なので参議院はない)昭和20年12月、旧労組法が成立し、昭和21年の改正ののち、日本国憲法施行後の昭和24年の改正で現行労働組合法ができたのである。
 これらの議事録等を読み解いたところ、立法過程においては、高世説とは逆に「労働組合員であるが故の採用差別は、不当労働行為として禁止されている」ことを、労働側も使用者側も当然の前提として議論が進んでいたことが、あまりにも明らかであった。
 高世裁判官は、労働組合法立法過程を勉強することもなく、実際に調査することもなく、自分が考え出した机上の空論を勝手に「立法者意思」と言い放っていたのであって、その知的廉潔性のなさは強く批判されるべきである。
 この高世裁判官は、青山会事件の東京地裁審理途中で異動となり、私たちの事件は後任の山口幸雄裁判長のもとで判決がなされた。
 山口裁判官は私たちの提出した立法過程に関する資料・主張をきちんと吟味し、「労働組合員であるが故の採用差別は不当労働行為にあたる」と前任者の高世裁判官とは全く異なる正しい判決を出してくれた。
 労組法立法過程の詳しい経過を紹介することはこの稿の性質上ふさわしくないから避けるが、勉強する中で、私の印象に非常に強く残ったのは、むしろ、あまり技術的ではない、昭和20年立法の際の政府責任者芦田均大臣の発言の一つ一つであった。
 言うまでもなく芦田均は戦後の保守政治家の中でも著名な人物の1人であって、後の内閣総理大臣でもある。
 芦田大臣の労働組合法案趣旨説明は「(労組法は)我が国に於ける民主主義的傾向の復活強化を促進し、労働階級の福祉を増進して、社会進歩の法則に歩調を合わせんとする為の立法であります」から切り出される。
 委員会の議論の中で芦田大臣は「今日此の進歩的なる労働組合法案に相応しき全ての客観的条件が国内に醸成されて居るかどうかと云う点になると、私自身も資本家側の心構へ、労働組合発達の現状、是等の問題に対する国民の心構え、何れもまだ十分な発達を示していないと思ひます」と日本社会の現状に対する認識を示す。その上で芦田大臣は「この状況をこのまま自然の推移に任すべきでなく、或る一定の標準を早く天下に示して、我々の向うべき目標はこういう方面にあるのだ、席を十分に設けてあるのだという程度の指導を国民に行なふことが、この際における政府当然の任務である、斯様に考えてましてこの法案を作成した訳であります」として、労働組合助成に対する(立法者の)強い意志を示していた。
 さらに、芦田大臣は、諸外国の立法例を引合いに出して、この法案が、「イギリス」「アメリカ」等の労働組合に関する法制と実質において違いがないと述べ、この法案が「謂はば世界の先進国に於ける労働立法の域に達した案であると考えて居ります」としている。
 このような骨太の考え方が、まさしく労組法立法者の意思だったのである。
 しかるに、「組合員であるが故の採用差別」などという極めて重大な差別類型を検討するにあたって、机上の空論を展開し「組合員故の採用差別が許されるのが立法者意思だ」などという論は、到底立法者たちの許すものではない。

 さて、青山会事件は、その後高裁でも勝利し、冒頭で書いたように最高裁でも勝利し、不採用となった労働者2名は青山会の職場で働いている。
 しかし、最高裁は別の事件(JR不採用事件)で、平成15年12月22日、「労働組合員であるが故の不採用は特段の事情がない限り、労組法7条1号本文の不利益取扱にはならない」との誤った判決を出している。多数意見3名に対し、反対意見が2名もついた異例の判決であった。実は、さきの高世三郎裁判官は、この最高裁判決のときには調査官となって最高裁におり、この判決に何らかの影響を及ぼした可能性も強い。
 さすがに多数意見にも「自分たちの見解が立法者意思だ」とは書いていなかったが(高世裁判官が関与していたとしても、恥ずかしくて書けまい)、立法者意思を無視していることには違いがない。
 このように、裁判官が、立法者意思を全く無視した法解釈を示して平然としているのでは、民主主義の国とはいえない。