医療の不確実性について思うこと/大塚達生(事務所だより2014年8月発行第49号掲載)

news201408_small 「医療の不確実性」という言葉をご存じでしょうか。
 この言葉を見たり聞いたりした方は、多いのではないでしょうか。
 この言葉を使う人によって意味に多少の違いがあるようですが、最大公約数的な意味としては、「医療に100%確実な診断、治療、経過予測はない。」「医療は100%の結果を保証するものではない。」といったことでしょうか。
 常識的に理解できることであり、もっともなことです。
 しかし、この言葉が濫用されていると感じることもあります。例えば、行われた医療行為が適切だったか不適切だったかを論じなければいけない場面で、この言葉が持ち出されているときです。

 本来、この言葉は、医療行為が適切に行われたにも関わらず、期待した結果が得られなかった場合に、使われる言葉のはずです。
 医療行為が不適切で、そのことによって悪い結果が生じた場合には、医療の不確実性に原因があるのではなく、医療行為が不適切だったことに原因があります。ですから、医療行為が適切だったか否かを論じる場面では、医療の不確実性という言葉を安易に使うことはできません。


 医療は不確実であるといっても、医療はギャンブルではありません。
 医療の世界では、「医療の不確実性」を前提にしつつも、確度をあげるための診断方法・治療方法が考案され、普及し、改善を重ね、それが実践としての医療水準を形成しています。これは、臨床医が従うべき医療水準です。
 だからこそ、国民皆保険制度のもとで、医療保険から医療行為に対して診療報酬が支払われているのです。もし仮に医療はギャンブルだというのであれば、公的医療保険制度を使ってギャンブルを財政的に支えていることになり、おかしなことになってしまいます。
 医療水準の内容となっている診断方法・治療方法から外れた場合にまで、「医療の不確実性」という一般論だけで、医療行為の適切・不適切を問題にする余地がないというのは無理です。
 あるべき診断方法・治療方法を実施した結果として発生した合併症であれば、「医療の不確実性」として理解することができますが、あるべき診断方法・治療方法を怠ったために悪い結果が発生した場合は、「医療の不確実性」だけで片付けることはできないのです。


 医療訴訟に携わる中で常々感じるのは、医療界では不適切な診療行為に対して批判的検討を行う動きが弱いのではないかということです。
 公開されている多くの症例報告論文は、基本的に成功事例または問題が発生しなかった症例に関するものです。診断の誤り、治療方法選択の誤りに関する症例報告は、ほとんど見かけません。
 最近では、医療事故情報、ヒヤリ・ハット事例が公開されることがありますが、誤診、誤治療に関する情報は、マスコミによって事件として報道されるようなケースを除いては、ほぼ公表されていないように思えます。
 診療担当医の責任問題に発展しかねないテーマであり、公表が難しいことは分かりますが、医療の質の向上という点からは、何でも医療の不確実性で説明するのではなく、誤診、誤治療に関する医療従事者間のオープンな検証・評価(これを「ピアレビュー」という言葉でソフトに言う方もいます)がもっと行われてもよいのではないかと思います。
 もしそういうことが広く行われれば、いっときはその情報を使った医療訴訟が増えるかもしれませんが、誤診、誤治療は減少し、その分だけ医療訴訟につながる医療行為は減少すると思うのです。