「なぜ弁護士になったのですか?」/野村和造(事務所だより2018年1月発行第56号掲載)

 先日、ある顧問先労働組合から講演を頼まれました。難しい話をしてすぐに忘れられるより、組合員が弁護士を身近に感じ弁護士を利用しようと思えるような話をしようということになったのですが、委員長から、例えばなぜ弁護士になったのか、どんな事件が印象的だったかというのはどうですかと言われました。
 自分自身が問われるなかなか厳しい質問です。

  振り返るといろんなことを思い出しました。

 なぜ弁護士になったかの問いに対しては、これまでできるだけ簡単に話すようにしてきました。昭和42年に東大に入学すると翌年には医学部紛争で機動隊導入、そこから駒場でもストライキ、そこで「君は官僚になって人民の膏血を絞るのか、それとも大企業に入って労働者を搾取するのか」と言われ、そのどちらでもない弁護士になったのだと答えてきたのです。しかし本当は、公害問題を取り組んできた弁護士達のように社会の役にたつことをしたいという気持以上に、果たして自分になにができるだろうかという不安がありました。

 弁護士になって最初の事務所(司法官赤化事件の当事者で免田事件の弁護団長だった尾崎陞さんの事務所)に入る時、君はなにをやりたいのかと聞かれ、具体的なことを考えていなかったため、どうにも答えようがなかったのを覚えています。

 学生気分が抜けきらず髪も長いままで、顧問先の法務課長(当時の日商岩井)からは「ビートルズ頭が」と言われていました。

 「奴隷工場」という映画のモデルになった労働組合(当時は全金日本ロール支部)の大会に、真っ赤なジーパンで挨拶に行ったこともあります。しばらく経って、先輩弁護士から、組合員の中で、「あの弁護士はいったい何なのだ」、「いや若くて枠にはまらずいいじゃないか」と大議論になったと教えてもらいました。

 そんなある日、組合の委員長から、「これで靴を買って下さい」と1円玉から1000円札まで様々な種類のお金が入った大きな封筒を渡されました。

 なんのことかわからずお礼を言っただけでしたが、これについても先輩弁護士から訳を知らされました。労働委員会で、傍聴者が対立組合員から、「おまえの弁護士はなんだ、ひどい靴を履いているではないか」と言われ、そこで弁護士に靴をプレゼントしようということになったとのこと。「弁護士は俺たちより金持ちなのになぜカンパをしなければならないのか」と侃々諤々の議論、すったもんだの末にカンパが集められたということでした(そんな大切なものを使ってはばちがあたると考えてしまい、カンパは新しい靴にはなりませんでしたが、労働組合のために働く支えになりました)。

 今から思うと、未熟であるだけでなく、力不足のため、いろんな人に迷惑をかけていたのだと冷や汗ものです。
 にもかかわらず沢山の人々に辛抱強く温かく育ててもらったことをつくづく感じます。

 このところ困難な状況があり、事務所の弁護士の活躍を見るとそろそろ引け際を考えなければと思っていましたが、先日の質問を受け、どう恩返しできるのか、得たものをどう伝えることができるのか考えないといけないと改めて思いました。
 吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は、若い人だけに向けた問いではないようです。