最高裁判事の補足意見が訴えかけるもの/大塚達生(事務所だより2011年9月発行第43号掲載)

news201109_small 被告人が犯罪を行ったことを否定しており、被告人による犯罪を裏付ける客観的証拠がないにもかかわらず、被害者だという人の供述に基づいて、被告人が有罪とされてしまう刑事裁判の事例は多い。 被告人の供述(弁解)は「信用できない」として簡単に排斥されてしまうのに対し、「被害者」の供述は信用できるとされがちである。その際の理由付けに使われるのは、「被害者」の供述の内容に一貫性があるとか、真に体験した者でなければ供述できない程の迫真性を有しているといったことが多い。

  だが、そのような場合でも、弁護人の目から見れば、「被害者」が単純な内容を述べているだけで、実際に体験していなくても供述することが可能と思えるような内容にすぎなかったり、あるいは、単に検察官の誘導尋問に乗っかっただけで、本人の口から具体的に語られているとはいいがたい供述であったりということがある。このような場合に「被害者」の供述だけに基づいて被告人を有罪とすることは、危険なことである。

 なお、「被害者」の供述の内容に矛盾があり、さすがに一貫性、迫真性を正面から認めることが無理な場合でも、裁判所が「被害者」寄りの推測を駆使して、その矛盾を過小に評価し、「根幹部分においては十分信用することができる」などという論法で、結局、供述の信用性が認められてしまうこともあり、これなどはもっと危険なことである。

 刑事裁判におけるこのような判断の行われ方を前にすると、「一貫性」、「迫真性」、「根幹部分」といった供述の信用性を判断するための要素が、果たして裁判所で十分に検討されているのであろうかと疑いたくなることがある。残念ではあるが、これらの要素は単に一つ覚えの定型句に堕しているのではないかとさえ、感じられることもある。


 ある刑事裁判の上告審(第3審)において、本年7月25日、最高裁判所第二小法廷は、注目すべき判決を言い渡した。被害者とされた者の供述を全面的に信用できるとした第1審判決及び原判決(第2審判決)の判断は、経験則に照らして不合理であり、是認することができないとし、原判決及び第1審判決を破棄して、被告人を無罪としたのである。

  第二小法廷を構成する5人の裁判官のうち、須藤正彦裁判官と千葉勝美裁判官が、この判決に補足意見を付しているが、そのうち千葉裁判官の補足意見は、前述のような事実認定の手法に警鐘を鳴らす意見となっている。

<千葉裁判官の補足意見の一部>

「 一般に、被害者の供述は、それがいわゆる狂言でない限り、被害体験に基づくものとして迫真性を有することが多いが、そのことから、常に、被害者の供述であるというだけで信用できるという先入観を持ったり、他方、被告人の弁解は、嫌疑を晴らしたいという心情からされるため、一般には疑わしいという先入観を持つことは、信用性の判断を誤るおそれがあり、この点も供述の信用性の評価に際しての留意事項であろう。 」

「 いうまでもなく、刑事裁判の使命は、まず、証拠の証明力等を的確に評価し、これに基づき適正な事実認定を行うことであり、証拠等を評価した結果、犯罪事実を認定するのに不十分な場合には当然に無罪の判決をすべきである。その意味で、裁判官は、訴追者側の提出した証拠が有罪認定に十分なものか否かといった観点から、公正かつ冷静に証拠の吟味をすべきであって、社会的、一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて、自己の独自の知見を働かせて、不十分、不完全な証拠を無理に分析し、つなぎ合わせ、推理や憶測を駆使してその不足分を補い、不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して、犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行うべきものでないことは当然である。この点は、異論のないところであろうが、我々として、常に自戒する必要があるところであろう。 」

「 供述の信用性が大きな争点となる事件において、多くの場合、信用性の吟味に際しては、供述内容に一貫性があるか、反対尋問にも揺らいでいないか、証言態度が真摯なものであるか、内容に迫真性があるか、虚偽の供述をする合理的な動機があるか等が判断の要素となると指摘されている。これらの点は、当然、重要な判断要素であり、その吟味が有用であることは疑う余地はない。これは、証人尋問を直接行った第1審での判断が基本的に尊重されるべきであるとされるゆえんでもある。 しかしながら、これらは、供述者の証言態度等についてのものであるから、常に的確な判断ができるかは、刑事裁判のみならず、民事裁判においてもしばしば問題になるところであり、供述態度が真摯で供述内容に迫真性を有し、いかにも信用性が十分にありそうに見えても、書証等の客観的証拠や事実と照らして、そうでないことに気付かされることもあるのであって、慎重で冷静な検討が常に求められる事柄である。特に、本件のような、客観的で決定的な証拠が存在しない場合には、上記の観点から信用性を肯定し一気に有罪認定することには、常に危険性が伴うことに留意する必要がある。 」

 千葉裁判官の意見は、「補足」といいながらも、判決書全体のうちのかなりの部分を占める長文であり、供述の信用性の判断方法について考察するとともに、この事件の「被害者」の供述の信用性について、緻密な検討を加えている。

「我々として、常に自戒する必要があるところであろう。」といった裁判官全体に向けたメッセージを含んでいるなど(裁判員となる人々にも向けられたメッセージであろう)、相当に力を入れて書いた意見であることが、その文面から伝わってくる。

  また、これとは別の刑事裁判において、約2年前に(平成21年4月14日)、最高裁判所第三小法廷は、やはり、原判決及び第1審判決を破棄して、被告人を無罪とする判決を言い渡している。

 その判決においても、那須弘平裁判官と近藤崇晴裁判官が補足意見の中で、「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」、「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで、その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴うということを指摘していた。そして、近藤裁判官は、「『被害者』の供述するところはたやすくこれを信用し、被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう、厳に自戒する必要がある。」とも述べていた。


 私には、これらの最高裁判事たちの補足意見が、下級審における刑事裁判の原理・原則を忘れた事実認定に対する強い憂慮から書かれたのだと思えてならない。

 果たして、下級審の裁判官たちは、これをどう受けとめているのであろうか。

 是非、これらの補足意見が訴えかけているメッセージを正面から謙虚に受けとめ、裁判実務に反映して欲しいものである。

(注)これらの判決の全文は、裁判所HP・判例検索システムの最高裁判所判例集で公開されています。

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