交通事故(被害者側)と弁護士の仕事/鵜飼良昭(事務所だより2011年1月発行第42号掲載)

news1101_small 私たちの事務所を訪れる依頼者の方々は、多かれ少なかれ一生に一度あるかないかの重大な出来事に遭遇し、思い悩み混乱した状態にあります。なかでも交通事故の場合は、その程度が強く深いと言えるでしょう。交通事故は、全く事前の予告なしに突然起こり、それまでの平穏な生活を暗転させ奈落の底に突き落としてしまうのですから・・・。

 現代社会で、車は不可欠な交通手段となっていますが、残念ながら現状では一定の確率で事故が発生することを避けることはできません。いつ何時、自分が被害者に、あるいは加害者になるかもしれないのです。


  A君は、北海道から上京し縫製工場に就職して彼女と知り合い結婚しました。A君は、装飾品製作の職人になるべくパートで働きながら専門学校に通い数年かけてようやく技術を習得して卒業を認められ、就職面接のため自転車で駅に向かう途中で車に跳ね飛ばされました。彼女が病院に駆けつけたとき意識はなく、一言も言葉を交わせないままA君は逝ってしまったのでした。

 それ以来、彼女は会社に出かけることもできなくなりました。家に閉じ籠もりがちになった彼女のもとに、示談を求める保険会社からの催促の電話や示談の文書が届きます。
 こんな紙切れ一つで、無念にも奪われたA君の命が処理されてしまうのか、という想いに突き動かされるようにして、彼女は私の所に相談に来ました。彼女は裁判提訴を決意しますが、それは保険会社が提示した金額が低すぎる、という憤りだけではなかったように思います。

 法廷で彼女は、A君と、もの作りの喜びや「将来工房を持つんだ」という夢を語り合ったときの躍動するような心の動きを陳述しました。そのようなA君の夢やA君との生活が、事故によって粉々に打ち砕かれてしまった深い喪失感や絶望感を、むしろ淡々と語ってくれたのが印象的でした。

 判決が確定して母親と事務所を訪れた彼女は、何か吹っ切れたような清々しい表情を初めて見せてくれました。それは彼女にとって、裁判が、理不尽で過酷な現実を受入れ次の人生を歩むために必要なプロセスであったことを物語っているようでした。


 現在の交通事故の民事裁判は、加害車両の運転者・保有者や保険会社に対して損害賠償を請求するという形になっています。
 所詮裁判でも、失われた命や身体、共に歩む人生を取り戻すことができない以上、弁護士の仕事は、保険会社主導で定額化されてきた賠償額の壁を、いかに突破するかに力を注ぐことになります。

 しかし、事はそう簡単ではありません。大きな社会的影響力を持つ損保会社からは、賠償額を出来るだけ低額に抑えようとするビジネスの力学が働いてきます。

    保険会社が提示する示談額が、当事者、弁護士関与、裁判の三段構造になっていることは、「専門家」の世界では常識に属することです。また、裁判所も、効率的な事件処理のために、ともすれば定型的な審理を進めようとします。

 これらとの闘いなしに、この壁を突破することはできません。

 最近判決が確定したBさんのケースは、高速道路で仕事中のBさんが、先行車両を追い越そうと車線をはみ出してきた車に跳ね飛ばされ、脳挫傷による高次脳機能障害を負った事故でした。判決は、現在考えられる最高水準の金額を認めましたが、この事件で保険会社側は、Bさんにも過失があると主張し損害額の減殺をはかってきました(過失相殺といいます)。

 しかし、加害車両を運転していた青年は、法廷で私の質問にBさんには過失がないことを認めざるを得ませんでした。法廷には、Bさんの家族や多数の親戚・友人、会社の同僚らが傍聴に来てくれました。Bさんの奥さんは、一見すると元の状態に回復したかに見えるBさんの日常生活の実態や中学・小学生の子ども達との葛藤などを涙ながらに陳述しました。共に生活している者でなければ分からない高次脳機能障害の深刻さの一端を、裁判所に理解させることができたように思います。

 今裁判が進行中のケースは、一旦はむち打ち症として14級の後遺障害の認定を受けたC君が、その後も、めまい・頭痛等の神経症状が治まらず就労できない状態が続くため、専門医を転々とした挙げ句、脳脊髄液減少症の診断を受けた事件です。

 C君は、大卒後就職してわずか3か月弱で、通勤途中に車に跳ねられました。その後5年間満足に就労できず治療に明け暮れる毎日を過ごしています。交通事故と脳脊髄液減少症との関係などについて、未だ医学的知見が確立されていない中で、C君の治癒と社会復帰のために弁護士として何ができるのか、模索している最中です。