アスベスト/野村和造(事務所だより2005年1月発行第30号掲載)

news0501_small2004年世界アスベスト東京会議

  世界会議が開かれるということで、造船のアスベストじん肺訴訟についての報告の割り当てが私に回ってきた。仕事に追いまくられている中でのこと、発表はパワーポイント(発表用のスライドを表示するコンピュータ・ソフト)を使うようにとか、経験皆無の私には正直、気が重かった。
 しかし、11月20日早稲田の国際会場に着くと、アスベストのことでよってたかって世界中から集まっているという雰囲気。会議を組織するため費やされた膨大なエネルギーを体で感じた。見慣れた顔をたくさんみつける。この会議は、この人たちが20年以上、ねばり強くアスベストの危険性を訴え続けて蓄積された力の成果なのだ。

田尻宗昭さんとアスベスト

 1987年、空母ミッドウェー改修で発生した大量のアスベストの不法投棄が,神奈川労災職業病センター所長の田尻宗昭所長らの活躍で明らかになった。田尻さんは四日市での海上保安庁時代に公害事件で初めて刑事責任を追及した人だ。
 田尻さんらにアスベストの危険性を社会的問題化することの重要性を指摘され、翌1988年7月、造船退職労働者8名の損害賠償請求の裁判(横浜地方裁判所横須賀支部)にかかわることになった。
 提訴は朝日新聞朝刊トップで報道された。私たちは、石綿粉じんによるじん肺の被害だけではなく、それが肺がんや中皮腫(胸膜や腹膜の肉腫)を引き起こす危険性を訴えた。
 この裁判は、1997年3月、裁判上の和解ができるまでえんえん8年半続き、その間、残念ながら田尻さんはなくなられた(なお、私は、現在、2003年7月、11名の造船退職者と,胸膜中皮腫により死亡された方の遺族を原告とする2次訴訟にかかわっている)。
 田尻さんが、「まず工場の中のひどい状態があり、それが外にもれて公害になる。だから、公害防止のためにはまず職場の問題が大事なのだ」といつも強調していたのを思い出す。

アスベストの怖さ

 アスベストは微量でも肺がんや中皮腫を引き起こす。最初の曝露より20年から40年して現れ「静かな時限爆弾」(広瀬弘忠氏)と呼ばれる。
 その耐熱・耐酸・耐アルカリの性能と繊維としての強さから、アスベストは日本でも大量に使用されてきた。ようやく、労働安全衛生法施行令が改正され、2003年10月から、アスベストを重量の1%を超えて含有する、スレートや摩擦材を含む10種類の製品の製造・輸入・使用等の禁止がなされた。
 しかし、完全禁止ではないし、アスベストが使用された建物の改修や解体によるでの曝露や、地震が発生した場合の対策などきわめておそまつである。
 過去のトレンドからは、男性の中皮腫に限っても2000年から40年間に、約10万人が罹患するといわれている。

北アイルランドの被害者の人たち

 会議に参加した、北アイルランドの弁護士さんと被害者家族の方たちが、我が事務所にみえた。
 被害者の会の会長のジューンさんは夫を中皮腫でなくし、コリンさんは祖父と父、さらには叔父二人を中皮腫でなくしていた。どういっていいかわからなかったが、あとでジューンさんらは同じ境遇の人たちと交流したかったと聞いた。会場のビジュアルメッセージ展の二つの姿が涙を流しながら抱き合っているポスター(作品番号:AD-016永倉彩「闇の中を共に」)を思い出す。共感の中から、新しい力、困難を克服する力がでてくる。私たちはそれを大事にしていかなければならないと思う。